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その1 静かな夜 (2010年5月末記)


(1)
「部屋を探しているんだって・・・?」
「ええ・・・」
山ちゃんはおそらく、プーと同じ団塊世代。
「それで、どんな所がいいの・・・広さとか・・・?」
「どこでもいいけど、静かな所がいいですね・・・なるべく家賃の安い・・・」
苦笑いしながらうなずいて
「聞いてみます・・・」
山ちゃんには知りあいがいるようだった。
 
昨日は呑み会だった。
職安で知りあった川島さんと、彼の友人の桜木さんの3人で、川島さんの部屋で呑んだ。3人とも失業中で、ふところぐあいが思わしくないので、ひとりもんの川島さんの所に集まることになる。風に吹かれた枯葉が吹きだまるように、川島さんの部屋に寄り合って、焼酎を酌み交わす。ひとりで思案に暮れていると、どうしてもウツの方へ気持ちが傾いてしまうので、こうして吹きだまっていると、安らぐ。それにアルコールが入ると、惨めな自分を忘れることができる、とりあえず、明日の朝までは。
だいたい、呑み会での話の内容は、忘れている。
3人が何をしゃべったのか、細かいことは覚えていないが、その場の雰囲気や話題は覚えている。所々、記憶がぬけ落ちていることもあるし、何故か、鮮明に記憶されている語句があったりする。
「小学校3年生のとき、母が死んでねぇ・・・」
川島さんの、そんなひと言がそれ。どのような話の流れの中で吐露されたのか、さだかかではありません。その後、川島さんがなにを話したのか、プーと桜木さんがどんな反応をしたのか、覚えていません。川島さんのひと言だけが、ポツンと瀬戸物の置物のように記憶されているのです。


(2)
このところ、考え事をしていると、どうも、ドウドウめぐりしてしまうようです。
子犬が遊び半分で自分の尻尾を咬もうとグルグル回ってる姿ににている。プーは、自分の将来を考えると、暗い気持ちになってしまいます。早く仕事を見つけなくては、と焦ります。お金の心配、健康の不安もあります。それやこれやで、考えが発展しません。考えるということが、階段を登り2階に上がることなら、プーは踊り場でうずくまっていることになる。

自分の部屋に閉じこもって、ドウドウめぐりの思案にくたびれ落ち着くところは、幼年時代の情景、刻まれた記憶、というわけです。それらの記憶の破片が、プーのよりどころです。DNAといってもいいでしょう。それらの2重のラセンから、プーの物語が始まるのです。いやいや、プーの物語はいまや終わりにさしかかっているのです。
失業、離婚と思わぬ展開になり、プーは頭を抱え、うずくまっているのです。プーは、自分の人生の終わり方をさがしている。


人の名前を忘れる。昨日、なにを食べたか、思い出せない。プーの脳みそはくさりつつあります。老眼になったり、儀歯になったり、EDになったり・・・日々、身体が衰えるようにボケていく。それは自然の摂理です。

不思議なことに、ボケ老人は今食べたばかりの食事は忘れても、70年前のある出来事は鮮明に覚えていて、いつでも再現できるのです。脳裏というスクリーンに写しだされる70年前の体験。録画された映画のように、ボケ老人の記憶という再生装置は始終いやになるほど繰り返す。それが言葉となってこわれたレコーダーのように自動再生されると、はた迷惑このうえないが、その記憶のかけらがボケ老人の拠り所なのでしょう。
プーもおなじです。


(3)
ありがたいことに敦子さんの電話のおかげで、プーはドウドウめぐりの自分の部屋から脱出できました。
「お店、手伝って・・・」だって。
「とりあえず、11時から3時まで・・・」とのこと。

翌朝、「ミラノ」に行くと、2人は開店準備を終えてコーヒーを飲んでいた。
敦子さんはプーのコーヒーをいれながら
「悪いわね・・・急で・・・」と苦笑い。
パートさんが病気になって
「山ちゃんと2人でやってやれないことはないけど、きつい。若いころのよな訳には・・・で、思いついてプーさんに電話をしたの・・・」

プーは若いころ、いっときプータロウだった。正確には、今で言うところのフリーター(当時そんな言葉はなかった)で肉体労働もしたけど、もっぱら喫茶、レストランなど飲食店が多かった。そんな昔の経験がいきたかどうか、思いのほかすんなり「ミラノ」の仕事に溶け込めました。
1週間もすると、だいたいの要領もわかり、仕事の流れも読めるようになり、3人の呼吸も合ってきました。
「プーさんの淹れたコーヒー、おいしいって、評判いいわよ・・・」
敦子さんはなかなか誉め上手です。

実際「ミラノ」で手伝いはじめるとウツな気分もうすらいできました。山ちゃん夫婦やお客さんと接していると気が晴れるようです。とにかく、仕事中は自分のことなど考える暇などないのがいい。仕事に追われ、いま、目の前の作業に集中するしかない。
このように、我を忘れる時があればいい。そうすれば、どん底の生活状態でも落ち込むこともない。


(4)
山ちゃんが、プーの部屋を見つけてくれました。
市営住宅の4階、エレベーターなし、築40年。「ミラノ」まで徒歩30分、自転車なら8分。家賃5万、敷金礼金なし。期間2年限定のわけあり物件。
それは山ちゃんの知人のもので、表札は竹本のままで、プーは留守番らしい。要するに、竹本さん名義の部屋にプーが住むことを、おおっぴらにしない。そんなこと、どうでもいい。とにかく、2年間、寝泊りできるだけで十分です。


ランチタイムは山下夫婦とプーの3人でやります。3人のうち誰かが休むときは、敦子さんの友達の都さんが手伝いに来ます。夜は、山ちゃんとバイトのナオかジュンのどちらかの2人でやります。忙しいときや、バイトの2人がともに休むときだけ、敦子さんが夜もきます。昼は11時から3時まで、夜は5時から9時まで。
日曜と祭日がお休みです。「ミラノ」の名が示すとうりイタリアンですが、本格的な料理ではありません。なんの変哲もない、街のどこにでもあるようなピザとパスタの店です。

20年前、山ちゃんが脱サラして始めたのが、このレストラン「ミラノ」です。そのときの資金は親に出してもらったらしい。たいして儲かっているようにはみえないのに、2人の子供を大学にいかせ、20年間も店がもっているのも親のおかげらしい。
山ちゃんは昔からの地元の人。地元で1番の高校を出て、東京の大学を出て商社勤めをしていたのに、辞めちゃった。その詳しいいきさつは知りませんが、今は亡き両親の遺産で中流生活を営んでいる。そのため商売人にありがちな、目ざとさ、あこぎさ、そんないやらしさがない。儲けてやろう、という魂胆がないから、「ミラノ」は商売より趣味、にちかい。


(5)
川島さんからゴルフに誘われる。金が無いと断ると、貸してくれる、と言う。荒川の河川敷。同じ9ホールを手引きのカートで2回まわる。車で20分と近いし、4千円と安いのがなによりだ。予約なしに、天気を見計らって行けば、その場で組みこんでくれる。
川島さんは1人でも時々出かけるようだ。そんなときは、3人の組に入れられるので、ある程度うまくないと恥をかいたり、のけ者にされたりする。
気が向いたとき、フラッと出かけて、3人組みの中に混じってプレイしてくるほど、川島さんはうまいし、人あたりもいい。職安(ハローワーク)で知り合ったそんな川島さんが、今はタクシーの運転手をしている。

ティーグランドで初老の夫婦に挨拶される。お互いに名をなのりスコアーカードに記入する。プー、川島、夫、妻。川島さんは、差しさわりのない話をしながら、オバサンを笑わせている。それほど神経を使わなくてもいい夫婦のようで、ひと安心。
だいたいこのような組み合わせになると、カップルの方が恐縮して下手にでるようだ。
とにかく、3年ぶりのゴルフなんだ。スコアーなんかどうでもよろしい。4人乗りのボートにのったつもりで、仲良く楽しく、回ってくること。

おじさんは70歳ぐらい、オバサンは60なかば。ハンディーは、おじさんが30、オバサンが35見当。プーが20で、川島さんが10といったところ。
とにかく、よくしゃべるオバサンだ。

おじさんの1打1打に講釈をたれ、ほめたりけなしたり、しかったり喜んだり。もちろん自分の1打1打にもあれこれ言い訳し、嘆き悲しみ、ミスショットに怒り心頭
「何やってんのよ・・・」
と自分をののしる。いいショットがでると無邪気に満面の喜び。
まことに楽しいオバサンではあるが、少々うるさい。1ラウンドのゴルフは付き合えても、とても3日も一緒にいられない。そのてん、寡黙なおじさんは偉い。40年も一緒に暮らしている。

夕方、桜木さんを呼んで、川島さんの部屋で呑んだとき、いっしょにラウンドした老夫婦の話題でもりあがった。10組の夫婦がいれば、10組の夫婦関係があり、10個の愛のかたちがある。
プーのように壊れるものもあれば、川島さんのように結婚しない人もいる。
桜木さんは、あまり自分の家族のことは話さないが・・・。
1人の男と1人の女が一緒に暮らす、その嬉しさと煩わしさ・・・。あのオジサンの、嬉しさと煩わしさ、幸せと諦め・・・。3人で呑みながら、あのオバサン夫婦をさかなに、自分たちの憂さを晴らしてガスを抜く。
「要領のいい男って、けっこうカアチャンの尻にしかれてる・・・争わない、ハイハイと言いながら外で遊んでる」
桜木さんが意味ありげに夫婦関係をしめくくる。


(6)
このところ、山ちゃんの体調が思わしくない。以前から、胃が痛いと、市販のくすりを飲んでいた。いままではそれでなんとかやり過ごせていたが、もう、限界に達したみたい。やせて顔色もさえない。ときどき、ランチタイムを休んで夜だけ出てくることがある。逆にランチタイムをなんとかこなしても、2時ごろ帰ってしまう。
くすりを飲んで横になっていれば、そのうちおさまるらしいが、無理はきかない。
すぐへばって座りこんでしまう。で、都さんに働いてもらうことになったが、それでも追いつかない。料理人がいないのだから、始まらない。プーも山ちゃんが仕込んでおいてくれれば、なんとか出せるけど、それ以上のことはできない。
敦子さんは、山ちゃんの具合が悪い日は、臨時休業も考えてるようだった。

プーは、これからの自分の余生を晴天の日々とは考えてはいない。
ホームレスにならなければいい、とか、他人に迷惑をかけなければいい、といった消極的な姿勢です。これだけはやっておきたい、といったものがないのです。病気をしないで、ボケないでポックリいくことを願っています。

すっかり弱気になってしまいましたが、「ミラノ」でバイトとはいえ職を得、収入を得、仲間を得たことは幸運でした。どんよりと重たい雲間から、かすかに陽がさす思いです。
飲食店で働くことは嫌いではありません、ちょっと好きになってきました。

山ちゃんが休むと、プーは9時には店に入らなければならない。11時までの2時間で
仕込みをして、3時までランチをやって5時まで休憩。5時から9時まで夜の部。食事とアルコール昼間は敦子さんが出て、 夜は女子大生がでてくれる。なんとなく敦子さんの表情もさえない。プーと敦子さんの2人では、ランチタイムをさばけないので、12時から3時までの3時間だけ、敦子さんの友達の都さんに手伝ってもらっている。


この歳になってしきりと昔を思い出すようになった。
50年もまえの風景や人の顔が突如よみがえる。育った家や庭、町、家族、友人、先生、飼っていた小動物たち。きのう会った人の名前は忘れても、50年まえの友人の名は忘れ得ない。脳の不思議。
50年まえの記憶は、強い感情と体験をともなって脳細胞に刷り込まれているから、消すことができない。
6、7歳のころ、学校から帰って、飼っている鶏の産みたての卵をほのかにあったかいご飯にかけ、醤油をたらして、かきまぜて食べるのが楽しみだった。
「おいしいか・・・」
という母のうれしそうな表情は、ぷーの脳細胞に印刷されている。
あっ、そうそう、鶏に関して、ひとつ嫌な思い出がある。父の友人が奄美大島から出てきたとき、父は飼っている鶏を絞め、鳥鍋にして歓待した。大人たちはおいしいおいしいと飼っていた鶏を食べ、酒を呑み、喋り歌い、楽しい宴だった。子供だったプーは、物陰でこっそり涙をながした。

(7)
山ちゃんが入院した。胃がんの末期、余命3ヶ月。
敦子さんは泣き笑いの表情で、自宅と病院と店をかごの中のハムスターのようにグルグル回っている。
「なんでもっと早く病院に行かなかったの?」
と誰もが言う。
「それまで、痛くなかったの?我慢してたの?余命3ヶ月になるまで1度も病院にいってないなんて信じられない。いくら病院嫌いといっても、度がすぎるよ」
敦子さんがいくら検査をすすめても、かたくなに拒んだ。
それでも他人は非難がましい目で敦子さんを見ているようだ。そんな世間の冷たいまなざしを受けながら、敦子さんは身を小さくして、かいがいしく山ちゃんの世話をしている。
「ミラノ」のことは、ぷーさんに任した、そんな感じで敦子さんは、店に顔を出さなくなった。


とりあえず、川島さんの知人の桜木さんに手伝ってもらうことになった。桜木さんとは川島さんと何度か一緒に呑んだことがあるので、いくらかは知っている。和食の板前の経験があり、プーより3つ年下でまじめな人だが、賭け事が好き。
また、敦子さんの友達の都さんが、毎日きてくれることになった。
それでも、プーは朝から晩まで1日12時間も店にいることになる。桜木さんも一緒、朝から晩まで。9時に閉店しても、かたずけたり、掃除したり、明日の用意をしたりすると10時になってしまう。
それから2人で、呑みながら、ああだこうだ、仕事のやり方について話しあう。たいてい話が横道にそれて競馬や身の上話になる。

お見舞いに行きたいけど、足が向かない。治る病なら、気楽に病院にいけるけど、余命3ヶ月のガン患者に会いにいくのは気が重い。
そんなとき、山ちゃんがプーさんに会いたがっている、と敦子さんが言いにきた。なんとなく、今生の別れ、と言う言葉が頭をかすめた。会いに行かないわけにはいかない。さて、なんて言っていいものやら・・・。


口元は笑っていたが、目は末期のものだった。覚悟ができているようだった。
「お店の方はどう?」
「ミラノ」が気がかりの様子だったので、心配させてはいけないと思い、
「大丈夫です、なんとか、やっています・・・」
と答えておいたが、山ちゃんは「ミラノ」が大変な状況にあるのは知っているようだった。
「店をたのむよ・・・」
澄んだ目でプーをみつめた。うなずくより他なかった。

病室をでてからから、敦子さんが言った。
「放射線治療を拒否したのよ、やれば、治るかもしれないし、すくなくとも延命にはなるのに・・・もう治療はしないの、痛み止めだけ・・・あと3ヶ月もたないって、先生が言っていた・・・」
ちじんだ両肩を抱いて、励ましの言葉をなにか言おうとしたが、言葉がでてこなくて、両手の指先でかるく背中をたたいた。敦子さんは、プーの胸に額をあずけ、静かに嗚咽していた。しばらく、そうしていた。
「ゴメンナサイ・・・顔あらってくるわ・・・」
口のはしだけで笑い、洗面所にむかった。手入れの行き届いていない髪型、うつろな目、やつれた頬、ひと回り小さくなった背中、消えてしまいそうな敦子さん。
「ミラノのこと、お願い、ね、まかせるから・・・あの人も、プーさんに譲るって・・・」
敦子さんは軽く会釈して、病室にもどっていった。


「譲るって・・・」
どーゆうことなの、分らない。分っているのは、もうすぐ山ちゃんが死ぬことだけ。自分の周りの人や物や風景が、映画のように後ずさりしていく。ふはふは、と宙に浮いた感じで自分の部屋にたどりついた。頭の中の考えがまとまらない。ぼんやりとしながら、ずーっとコルトレーンばかり聴いていた。そのうち眠ったらしい。
めざめたとき、一瞬、朝かと思ったが、夕方だった。ほんの小いち時間なのに、一晩寝たような気がして、山ちゃんの見舞いに行ったのを思い出すのに時間を要した。めざめながら、病室の情景や会話を反すうしていた。

夜、報告かたがた「ミラノ」に顔を出して、山ちゃんの容態や、敦子さんの言った
「ミラノを譲る・・・」ことなどを話した。
桜木さんに喋ったことで、自分の中でもやもやしていたものが、すこしずつはっきりしてきた。桜木さんが一緒にやってくれるのなら「ミラノ」をやってもいい。ただ、譲ってもらうにしても、ただ、という訳にはいかない。何百万かするだろう。その金額が、第1の問題。第2は、赤字経営をどうやって黒字にするか。
焼酎のお湯割りを呑みながら、ない頭で考えるともなく考えていた。どうすれば、もっとお客が来てくれるのか。お客は何をもとめているのか。
今日、アルバイトの面接に来た女子大生の顔を思い浮かべながら、眠りについた。
オッス、オッス、オッス。


(8)
あれは4月のことだった。職安の帰りに「ミラノ」に立ち寄るようになったのだ。敦子さんに身の上話をしているうちに部屋を斡旋され「ミラノ」で便利屋のようにお手伝いするようになった。
お手伝いで月、10万ぐらいもらって、のんびり余生をすごそうと思っていたのに、いつのまにか社員なみの労働時間数になっていた。どん底の自分に情けをかけてくれた山ちゃん夫婦には、恩をかえしたいが、どうしたらええんやろ・・・。
老後の人生設計・・・そんな大げさな予定ではないが、年金が全額入る65歳までは仕方がないから食べれるていどに少しだけ働いて・・・のんびり・・・の心づもりが。

街は師走でクリスマスソングがやかましい。なんで、こんな早い時期からジングルベルを流すんや。日本人はアホちゃうか、プーは腹の中で毒ずきながら
「アホや・・・」とひとりごちた。
ただ騒がしいだけのクリスマスソングはパチンコ屋の音楽のようにうるさい。誰も聴いていない虚しい音楽。死にゆく山ちゃんのことを想っていると、延々と繰り返されるテープのクリスマスソングも、自分も、周りの人も物も、虚しく思える。
山ちゃんの死より確かなものは、見あたらない。


朝、9時に店に行くと、すでに桜木さんが仕込みをはじめていた。お米をといだり、スープをつくったり、ランチの下準備をする。
「山ちゃん、年こせるかどうか、らしいよ・・・」
桜木さんは仕事の手を休めず、しかも火のついたタバコをくわえたまま、仕入れたばかりの情報を教えてくれる。タバコの灰が下準備した食材に落ちないか気にしながら、うなずいた。それは、プーも知っていることだった。うなずきながら、桜木さんに禁煙をすすめようと思ったが、また今度の機会に言ってみることにした。
「この店、いくらぐらいで譲ってくれるんやろ・・・」
「オレが不動産やで相場を聞いといてあげるよ・・・」
桜木さんは坊主にちかい角刈りで色白でやせている。清潔感があるにしても、ちょっと神経質に見える。

「きのうの夜、鯖みそを仕込んだんですけど・・・今日のランチに出していいですか・・・」
山ちゃん夫婦がつくりあげた「ミラノ」は、イタリア風洋食屋、といった風情だ。パスタやピザが主で和食は出していない。でも、山ちゃん夫婦が店にでれなくなり、常連さんも減ってきていることだし・・・
「いいよっ」
プーは返事してから、これはいい機会かもしれないと思った。イタリアンとか洋食とかにこだわらず、このさい、桜木さんの腕をいかして和食を出すのも悪くない試みだ。
鯖みそ、いいじゃないか。
ーー鯖みそ定食・・・800円・はじめました・限定5食ーー
さっそく和紙に墨で書いて、店頭に張り出す。

「プーさんの字、ヘタウマだね・・・」
からかう桜木さんも自分の料理が出せるので、にんまりしている。そこへ都さんが入ってきた。都さんは敦子さんのヘルプ要員の1人でしたが、敦子さんが働けなくなったので1ヶ月まえから毎日勤めはじめている。10時から3時まで。小柄でやせているが、働き者です。
ハキハキ、テキパキのちょっと気の強いハッスルおばさん。プー同様バツイチで高校生の娘2人と3人ぐらし。
「ランチ、鯖みそ、で・す・か・・・うーん・・・出ると思います、年配のかたには・・・」
都さんはすでに「ミラノ」の客層をつかんでいるようだった。

都さんは3時まで「ミラノ」で働き、6時からスナックに勤めている。恋人もいるようだが、履歴書に書かれていること以外、プーはなにも知らない。
「桜木さんの作った鯖みそ・・・おいしいですよ・・・」
都さんが、すすめ上手なのか、味がいいのか、限定5食の鯖みそ定食がたちまち売り切れ。
店頭のーー鯖みそ定食・・・800円ーーの張り紙を持ってきて、
「私も食べたかったわ・・・」
都さんは桜木さんを見やる。
「僕も食べたかったな・・・」
プーもうなずきながら桜木さんに目をやる。
まんざらそうでもない桜木さん、
「明日は鰈だな・・・」
「カレー?」
「ノーノー、カレーライスじゃないよ、魚の鰈の煮付け・・・どう?」
プーと都さんは見つめあい、うなずきつつ、
「私も食べたいわ・・・」
「桜木さん、鰈の煮付け、10食分、仕込んで」
「ずいぶん強気ですね、プーさん・・・」
「いや、ただ食い意地がはっているだけなのよ、プーさんは」
私の分もね、と都さん。


桜木さんが不動産やから仕入れてきた情報によると「ミラノ」の相場は居ぬきで500万。うち保証金が300万、設備内装備品が200万、といったところらしい。保証金の300万は動かしようがないから、後は設備内装備品の200万をどう判断するかだけど、200万だったら2、3ヶ月で買い手が現れるだろう、ということだった。
その数字を聞いて、安いとも高いとも思わなかった。そんなものだろう、と思う。ただ、敦子さんが相場の数字をプーに突きつけるとは思えなかったし、500万もの金があるわけがなかった。とりあえず、いまは敦子さんからの話を待って、彼女と相談するだけだ。しかし敦子さんは今、それどころじゃない。

「プーさんの字、へたなのか、うまいのか、分らないね・・・」
鰈の煮付け、きゅうり・なす・かぶ・のおしんこ、しじみの味噌汁、ごはん800円、コーヒーを付けると1000円。桜木さんの機嫌がいいのもうなずける。鰈の煮付け定食も8食でて、残りの2食を3人で食べた。
「プーさん、おいしいコーヒー淹れて」
桜木さん、ますます調子いい。鼻高々。
「しょってるわね・・・明日はなに出すの・・・」
と都さん。
「ちょっと待って、コーヒーを飲んでから、あー腕が鳴るな・・・」
桜木さんは左手で右の二の腕をさすっている。

お客さんの反応も上々で桜木さんもやる気満々。当分の間、和食を取り入れてみることにした。イタリアンに限定すると、どうしても客層が女性にかたよりがちで、お年寄りも、そう毎日は食べられない。お客さんの数が限られているから、週1回来てくれるお客さんに、2回来てもらえるようにすればいい。そのためにも、和食を出して、味に変化をつけ、お客さんが選べるようにする必要がある。月曜日がパスタだったから、木曜日は焼き魚・・・てなぐあいになれば、週1のお客さんが週2になる。

そんな単純な計算どうりにいかないまでも、常連さんの来客頻度をあげることはできる。プーは、ない知恵をしぼって、あれこれメニューを考えるのが楽しくなってきた。
これと思う案が浮かぶと、すぐ桜木さんに相談して、都さんにたずねて、バイトのジュン、ナオ、それから新しく入ったオッスにも、どんなもんやろ・・・?うけるやろか、聞いてみる。
みんなであれやこれや、意見をぶつけあう。おもしろい。みんな言うことが違う。味覚、好みが人それぞれ。
「ラーメンやってみれば・・・うどん、そば、なんかも・・・」都さん。
「日替わりでいいから、もっとサラダの種類をふやして・・・」ジュン。
「カレーライスなんかも・・・急に食べたくなったりして・・・」ナオ。
「健康食品、ヨーグルト、玄米、とか納豆とか・・・」オッス。
いままで、プーの頭になかった「メニュー」が、ビリヤードの球のようにゴチャゴチャぶつかり合っている。


(9)
プーは仕事帰り、たまに、平さんのお店「月」に寄る。平さんは定年になってから、この店を始めたらしい。「月」は「ミラノ」とプーの部屋の中間あたりにあるが、住宅地にあるのでわかりずらい。最近、偶然みつけて、ちょこちょこ呑んで帰る。
平さんは、プーより10歳ぐらい上で、ぜんぜん威張らない、おだやかな人です。ジャズが好きで、ジャズを肴にお酒をだしています。「月」は、うなぎの寝床のように細長く、カウンターに6、7人すわれて、奥のボックスには4人席が2つあるが、いつ行っても先客がいない。
たまに、オバサマが平さん相手に話し込んでいたり、おじさんが1人、船をこいでいたり・・・とても繁盛しているようにはみえない。いつだったか、プーが「月」の扉を開けると、誰もいない店の奥で、平さんがアップライトのピアノ弾いていた。

「ミラノ」を9時に閉め、あとかたずけをしたり、あすの用意をしたりすると、9時半になる。それからたいてい、小1時間ほど店で桜木さんと飲んで帰る。プーは、まっすぐ自分の部屋に帰りたくないときは「月」に顔をだす。アルコールというより、平さんの人柄が、ぷーを「月」に引き寄せるらしい。言葉の少ないプーにとって、話し上手な平さんは気楽だ。余計な気ずかいはしなくていい。8割がたプーが聞き役でちょうどいい。

平さんと話していると、しらないうちに自分の劣等感や虚栄心を脱ぎ捨てている。それだけでなく、お互いに自分の低脳や、要領のわるさや、世渡りの下手さ加減など、それとなくからかって、笑っている。平さんのドジな失敗談を肴にウイスキーソーダーを飲みながら、マイルスのラウンド・アバウト・ミッドナイトを聴いていると、笑いの夜もあっという間にふけていく。その曲が閉店の合図のような気がして、そっとおいとまする。
のど元に師走の冷気がしのび寄る。いちど、ブルブルッと身ぶるいしてから、夜道を自分の部屋にむかう。マイルスのトランペットの澄んだ高音が忘れていた20歳の頃を思い起こしてくれる。40年前に味わった、胸がヒリヒリする青春時代の孤独感をなぞりながら、家路につく。
深夜の冷たい空気が身にしみ入って・・・
「これでいいのだ」


(10)
「山ちゃんが洗礼をうけたのよ。」
ランチタイムが終わり、3人で残り物の銀ダラで昼食をとっているところへ敦子さんがやって来て
「昨日、急に洗礼を受けたの・・・」
プー、桜木、都の3人はいきさつが分らず、ポカンと聞いていた。

「1週間まえに神父さんが、お見舞いに来てくれたの。神父さんがお祈りしてくれたら、山ちゃん、ワナワナ震えだし、涙をボロボロ流して、てんかんみたいにけいれんしちゃったの・・・神父さんの右手が山ちゃんの肩にふれると、そのまま静かに眠ってしまったの・・・」

「目を覚ましたら、洗礼を受けると言い出して・・・まるで魔法にかけられたようで・・・とにかく2人の子供とも相談して・・・神父が山ちゃんの高校時代の学友とわかって・・・でも、わたし、今まで一度も神父の話を山ちゃんから聞いたことがないので、山ちゃんの友達やいろんな人に神父のことを聞いてまわったの・・・まぁ、悪い人ではないみたい、普通の聖職者らしい・・・」
敦子さんの話は要するに、元学友の神父から洗礼を受け、山ちゃんはクリスチャンになった、と。
神父はいかがわしい聖職者ではない、と。

プーが銀ダラを敦子さんにすすめる。
「桜木さんが作ってだしてます」
「評判、いいんですよ」
と都さん。
桜木さんは照れ笑い。
敦子さんは、心ここにあらず、喋るだけ喋ると、さっさと帰ってしまう。

敦子さんの頭の中は、山ちゃんのことでいっぱいで「ミラノ」のことは抜け落ちている。和食を始めたこと、それが人気があって、日に7、8食でることになんの反応もしめさなかった。じっさい「ミラノ」のことは、全部プーと桜木さんでやっている。肝心な売上金や人手のこともプーにまかせっきりだ。やむおえない。無理もない。敦子さんは山ちゃんに専念するしかないだろう。桜木さんも都さんも,放心状態の敦子さんを不憫な子供をみるように眺めていた。
とにかく自分たち3人で、なんとかしましょう。
「よぉーし、明日はぶり大根・・・」桜木さん。
「10食プラス、わたしのぶんも、ね・・・」
にっこりうなずいて都さん。


(11)
その夜「月」に寄ると、平さんの伴奏で若い女の子が歌っていた。たしかに聴いたことのある知っている曲なんだが、曲名が思い出せない。最近、ちょくちょくこいうことがある。聞いたばかりの人名を忘れて困ってしまう。
プーのウィスキーソーダを作ると、平さんはピアノにもどり伴奏しながら同じ箇所を何度も繰り返し歌わせている。彼女はジャズボーカルの初心者のようだが、英語の発音がいい。あとで知ったのだが、帰国子女とのこと、納得。
ときどき、ジャズピアノとボーカルを安く教えているようだ。生徒の友達が何人かついてきて「月」で飲み食いするからレッスン代ぐらいにはなるらしい。彼女、エリさんがクリスマスソングを歌っていのを聴いて、ひらめくものがあった。
それは、クリスマスに「ミラノ」でエリさんに歌ってもらって、そのライブをDVDの音と映像にして、山ちゃんにプレゼントすることだった。が、平さんは、あっさり首を横にふって
「エリさんは、まだ人前では歌えません」
そのとき、プーは山ちゃんの話はせず、たんにエリさんに歌ってもらえないか、とお願いしたのだが・・・。

平さんも「ミラノ」の店は知っていた。プーが勤めだすまえに何度か食事をしたことがあるそうだ。懇意にしていたわけではないが、山ちゃんと話しもしたことがある、と言うので、迷ったすえ、山ちゃんの病状を教えたら、平さんの表情がいっきにくもって寡黙になった。

それから、平さんの昔話になって
「ジャズ研でピアノやってたんですよ・・・で中退しちゃって、バンドに入って、日本全国旅して回ったり、ホテルのバーや銀座のクラブで弾いたりしてたんだけど、ほら、あの女房と一緒になって子供ができたもんだから、それを潮に堅気になったわけよ。
ちょうどカラオケがはやりだしましてね、バンドの需要も減りつつあったから、今から思えばいいタイミングの転職だった。
昔はどんなキャバレーでも、1つか2つのバンドが入っていたから、私なんか、2つの店を掛け持ちしたりしましてね、若かったし景気もよかったし・・・おもしろかったなぁー・・・」

「じっさいバンドをやっていたのは、10年足らずなんだけど、ものすごく長くやっていたような気がする。20年ぐらい・・・それだけ楽しかったんだね。好きなことに夢中になってやっていると、そのときは、あっという間なんだけど、振り返ってみると、10年たらずが20年にも感じられる。むかし一緒にやっていたボーカルに声をかけてみましょう、歌ってくれるかもしれない。山ちゃんがそんな状態なら、ひとつ骨を折ってみるか・・・」


(12)
師走の街は、せわしなく、空回りしている感じ。あわただしいばかりで、身にしみいってくるものがない。
なにをみんなじたばたしてるんや、プーは自分に言いきかせる、のんびりいこう。
子供のころ、12月になると町内会で大掃除をしたり、自分の家の前で、家族総出で餅つきしたり、近所の人たちといろんな行事をしていたような気がする。
そうそう思い出した、大掃除で各家庭から出てきた大量のごみを四つ角の真ん中に山のように積み上げて燃やしていた。そこにサツマイモを入れて、大掃除の休憩に、みんなでお茶を飲みながら焼き芋を食べてワイワイやっていた。当時の近所ずきあいには情があってなつかしい。


プーが出勤すると桜木さんが仕事着にきがえているところだった。そのやせた胸板を見て笑うプーをいぶかしげににらみかえし
「プーさんも減量したら・・・」
プーは中学生の頃、洗たく板とあざなされていた胸の薄い女の子を思いだしていたのだが・・・それに、プーの体重が80キロから70キロに減ったのを桜木さんは知らない。無理もない、1年前のプーを知ってる人は「ミラノ」には誰もいない。

プーがコーヒーをいれたところ、それを見計らったように都さんが入ってきた。3人でコーヒーを飲み朝食のトーストを食べる。桜木さんはスポーツ新聞の野球欄を読みながら煙草をふかし、都さんは手のひらをうちわがわりに煙草のけむりを払い
「山ちゃん、なんで洗礼うけたのかなぁ・・・」
桜木さんと都さんと洗たく板の絵が一緒になって、プーはにんまり胸をなでおろす。

今日の和定食は、きのうから仕込んである、ぶり大根。
さいきん、和定食がイタリアン以上にでることがある。お年寄りに人気。売り上げも、ちょっと上がってるみたい。だんだん、桜木さんも要領がわかってきて仕込みにも気合がはいる。残り物は3人の昼のまかないになり、それでもあまると、夜の酒の突き出しとなる。
そのせいか、夜の酒の出が増えた。

桜木さんが言うには
「そろそろ刺身定食なんかも出してみようかな、5食ぐらいならでると思う。残ったぶんは、都さんの昼食にはできないけど、夜の酒の肴に安くだしてあげれば、のん兵衛には喜ばれるはず。だから日本酒も置きましょう、敦子さんには内緒で・・・」
桜木さんの案はいけると思う。昼の和定食と夜の居酒屋感覚。
だが、今は時期がじきだけに、いそがないことだ。

「山ちゃん、なんで、洗礼、受けたのかなぁ・・・」
都さんがまたつぶやく。
「なんでぇー、言うたって・・・もうすぐ死ぬのが分かっているからやろ」と、プー。
「人は、死期が近づくと急に信心深くなるらしいで・・・でも、クリスチャンになるのはめずらしいな」
「わたし、今もその時も、宗教にはすがらない」
「分からんで、おぼれる者、わらをもつかむ、言うやんか。たとえは悪いけど、時と場合によって人は変わる、いうこっちゃ」
「わたしは、変わらないと思う」
「変わらなくてもいいし、変わってもええねん、安らかに逝ければね・・・」

そこで桜木さんが一言
「暗いなぁー話しが・・・もうすぐランチタイムやで、明るくあかるく、笑顔で・・・頼むでぇー」
「まかしとき」
都さんは洗たく板の胸をたたいて立ち上がった。
  

(13)
このところ「月」に寄る回数がふえた。まっすぐ自分の部屋に帰ると、なにか余計なものが身にまとわりついているようで、その余計なものを途中で払い落としてから、すっきりとした心身で自室にもどりたい。
朝、部屋を出て、夜、もどるまでの間に身についた汚れを、音楽を聴きながら、平さんとたわいもない話をし、酒を呑み、身を清める。と、言うのは、酒呑みの口実で、たんに酔って嫌な自分を忘れたいだけです。どうせ寄り道するなら、居心地のいい所がいいし、余計な気づかいはしたくないので、自然と足は「月」に向かうことになる。

「プーさん、クリスマスライブできます、OKがでました。このまえ話したボーカルのマキさんと亭主のベースと私」
なにやら嬉しそうな、平さん。
「長い間、人前でやってないからね、楽しみだよ、奴らも私も。でね、当日の朝からここで練習することになったんだよ」
「えらく入れ込んでいますね、ギャラはたいして出ないと思うけど・・・」
「ギャラはいらない、足代と口代だけはお願いします」
「元プロにただでは悪いなぁ・・・」
「いいってことよ、そのぶん私たちも楽しませてもらうから」

「山ちゃん、最近、落ち着いてきたのよ、それで先生、クリスマスとお正月は家に帰ってもいいとおっしゃってくれているの・・・」
ぷーは敦子さんのそんな言葉を思い出しながら、なんとか山ちゃんにもクリスマスライブに来てもらいたいと思うようになった。それで、敦子さんを「月」に誘って、平さんを紹介した。うろ覚えながら2人は見知っていて、話しはすんなりすすみ、ライブをやることになった今までのいきさつを平さんが思いのほか上手に説明してくれ、敦子さんも納得してくれた。敦子さんの帰りぎわ、平さんがそれとなく提案してくれた。
「クリスマスライブに山ちゃんが来てくれると嬉しいんだけど・・・」
敦子さんはうなずいて
「話してみる・・・」
と言って何か考えているようだったが、笑顔でバイバイと手をふってお辞儀をしたのが印象的だった。


今の自分の状況は、半年まえには考えられない。プーの思いつきで「ミラノ」でクリスマスライブができるなんて。
そもそも、失業しなければ山ちゃんに会えなかった。山ちゃんに部屋を紹介してもらって「ミラノ」で使ってもらわなければ「月」を見つけられなかったし、平さんにも会えなかった。
平さんに会えなかったらミュージシャンにもたどり着けない。それに、この時期に山ちゃんが入院しなければクリスマスライブのことなんか思いもつかない。

はじまりは失業して、ハローワークの帰り、図書館で本とCDを借り、裏通りの「ミラノ」に立ち寄ったことだった。敦子さんと話すようになり、いつの間にか身内になっていた。
ウツぎみで途方にくれていた自分が、まがりなりにもどん底からはい上がれたのは「ミラノ」を手伝うようになったからです。
山ちゃん夫婦やバイトやお客さんと話すうちに気が晴れてきたのです。自分の娘より若いバイトのジュンやナオに軽んじられ、常連さんからも、1段下に見下ろされていますが、へっちゃらです。
以前ほど、他人に笑われても立腹を覚えない。


(14)
12月25日は3時にいったん店を閉め、クリスマスライブコンサートの準備です。
開店の6時までの3時間で椅子、テーブルを動かしてセッティング、料理のスタンバイを全員でやる。5時には平さんたちの音だしが始まる。なんとなく雰囲気が高まり、何もかもはじめての皆は、うおうさおうするばかり。
「プーさん、あれ、どうするの・・・これ、どうするの・・・プーさん、プーさん、プーさん・・・」
「やかましい!」
と、言いたいところをぐっとこらえて、指示だしに専念する。助手はオッス。

料理は桜木さんと都さんにまかせてある。昨夜と今朝で40人分の下ごしらえは済んでいる。後は飲み物と料理を出す手順だけ。6時からお客さんが入ってくる。受付はプーがやる。全員予約指定席。ナオとジュンが案内しオーダーをとる。次々と来客、あちこちで会話がはずむ。前日から調整していた音響設備も平さんからOKがでる。
いよいよだ。お客さんたちも顔見知りが多く、なんとなく社交場のような雰囲気がする。


平さんのピアノが鳴りだし、ベースがリズムをきざみ、マキさんが歌いはじめると、皆がいっせいに聞き耳をたてている。マキさんが2曲たてつずけに歌い終えるころ、好奇心がじわじわと、ざわめきとなって満たされていく。
マキさんが挨拶とメンバー紹介のあと、客席の山ちゃんを手招きした。
敦子さんと息子さんに抱きかかえられるようにして立ちあがった山ちゃんは、何か言いたそうにしながら一呼吸おいて
「メリィークリスマス」
とだけ言って席に着いた。
プーと目が合い、うなずいてから程なくして、親子3人で家路についた。

1ステージが終わるころには、あわただしさも収まり、お客さんも従業員もおだやかな気分で音楽を楽しんでいる。やはり生の音はいいなぁ、と思う。休憩のとき、平さんたちも楽しそうに喋り、笑っている。
まるで青春時代にタイムスリップしたように見える。
お客さんたちも、皆いち様に楽しんでいるのが分る。飲み食べ喋る表情に明るい輝きがある。初老にさしかかった男女が、かつての若き日にもどっている。
マキさんが歌う半世紀まえに流行った曲を聴いて、昔の恋人を想い浮かべているのだろうか。うっとり、しみじみ聴きいっている、そして拍手。

あっという間に2ステージも終わり、アンコール。
マキさんの澄んだ声が「サイレンナイ・・・」を歌いだすと、なぜか、プーの目頭が熱くなった。
「なんでやろ・・・」
プーは、あふれでる熱いものを、じっとこらえていた。


翌日、敦子さんから電話があった。
「朝、山ちゃんを起こしに行ったら、永眠していました・・・」







                                              終わり
                                              「嘘日記その1・静かな夜」
                                                       永野 拓三

                                          メール nagano_taku@yahoo.co.jp

                                                これはフィクションです。
















































































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