その2 さくらの木の下で   (2010年月10月末記)


(1)

5年ぶりの帰省だった。はじめて深夜高速バスを利用した。夜の11時に八重洲を出ると、朝6時に天王寺に着いた。バスに乗るまえに気持ちよくなる程度にお酒を飲んでおいたので、眠っている間に大阪に着いてしまった。作戦成功。夜中に途中休憩の静岡あたりで一度、目を覚ましただけでおもいのほか快適だった。
左右1列だけの幅広いリクライニングシートとゆったりした室内空間がいい。新幹線に比べて便利で安い。それに、早朝につくので、その日一日、有効利用できる。周りの乗客たちは慣れているらしく、深夜バス用の空気枕やアイマスクなどの小物を用意していた。

迎えに来た兄の車で、家に帰るまえに墓参りをした。
実家の堺の近くの狭山に墓地がある。1月4日の早朝だから誰もいないと思っていたのに、何組もの夫婦や家族がいた。兄の話しでは、元旦から大勢の人々が来るらしい。
堺市が丘陵を造成して公園墓地にしているので、春になると墓参をかねた花見客でにぎわう。墓地で花見とは妙な感じがしないでもない。とにかく広く、プーは何度きても墓の在りかがわからない。いつも、ただ兄の後ろをついて行くだけだから、たぶん1人では来れないと思う。

車中で兄だけにはと思い、この1年の出来事を簡単に話した。バブルがはじけて、会社の業績も悪くなり、収入も減り、夫婦仲も冷えきり、失業をきっかけに離婚に至ったこと。今は「ミラノ」を手つだっていて、年末に店主が亡くなり、自分が後を継ぐかもしれないこと、など。

プーは家を出てから連絡していない。用事があるときは娘にメールをいれて処理してもらっているほとんどは、市役所、税務署、保険、年金、車、職安などの書類やてつづきに関すること。それも一段落してからは何の連絡もない。

クリスマスライブはたいへんだったけれど、それ以上に喜びもおおきかった。2000円の料金でたくさん料理を出したので、利益が出たのかどうか、よく分からない。でも、
「よかったわー・・・」
「楽しかったわー・・・」
と帰りがけのお客さんに言われると、うれしい。
お客さんがみんな帰った後、平さん、マキさん夫妻と飲んでいると、いつもとは違う楽しさ、喜びがみんなにあるのがわかる。それは、何なの・・・とたずねられても、うまく答えられない。

「縁の下の力持ち」
いまではそんな言葉は使わなくなったけれど、従業員みんなで力をあわせて、縁の下で汗をかいて、
ぐったり疲れて、でもさわやかな気分で、打ち上げの酒を飲みながら、ライブの後でライブを味わい楽しんでいる。祭りの後で、裏方たちが寄り合って飲む酒の味に似ているかもしれない。
そんないい気持ちにしたった翌日、山ちゃんが死んだ。

その後、正月までの日々をどのように過ごしたのか、さだかには覚えていない。翌日から店を閉め、お通夜、葬式、大掃除、そのまま正月休み。アルバイトの女子大生たちは、それぞれのふるさとへ帰っていった。桜木さんも都さんも、年末年始は家族と過ごしている。
この時期の一人もんは侘しいものだ。他人の家族の中に割り込むのもちょいと気がひける。そんなわけで、部屋に引きこもって、酒をかっくらっていた。

平さんからメールがあり「月」で大晦日にオールナイト ジャム セッションをやるという。
テレビで「紅白」を見る気がしない、ましてや「格闘技」など、あほらしい。

昔、明治神宮のそばの喫茶店で大晦日から3が日まで、寝る間も惜しんで働いたことがある。コーヒー、1杯千円でも客は列をなし、さばききれない。冷えた体を室内で温めたい思いと、トイレを使いたい事情がそうさせていた。
もちろん今ほどカフェのチェーン店もなかったので、ボロ儲け。3が日で、1ヶ月分の収入があった。そのとき、テキヤの快感に似たものを感じた、うしろめたい疎外感とともに。

年末、なにもしないで酒を呑んでいると気が滅入ってくるので部屋の大掃除をすることにした。
やり始めると、けっこう時間がたって、まる1日では終わらない。郵便物を整理していると
母からの手紙が何通も出てきて、ついつい読み耽ってしまった。
「あっ、そうだ、お墓参りをしよう」
と、そのとき決めた。


(2)
墓参りから帰ると兄嫁がホットプレートを出して、お好み焼きの用意をしてあった。3人で朝食けん昼食のお好み焼きと焼きそばを食べる。ビールで乾杯する。うまい。もちろん、鉄板奉行は兄で、嫁には触らせない。ぷーと違って、兄は器用でまめで、よくしゃべる。
「どや、いけるやろ、最近な、牛すじ入れてんねん・・・」
「まえは豚バラばっかりやったけどな・・・」
「焼きそばにな、牡蠣いれたから食べて・・・」
兄はへらで牡蠣や牛すじや食べごろのお好み焼きをぷーの前に運ぶ。同じように、嫁の分も自分の分も。3人分焼いて、仕分けして、食べ飲み、ほとんど1人でしゃべっている。大阪で食べるお好み焼きは何でこううまいんかなぁーと思いながら、
「うまい・・・この味は東京では食えんなぁー・・・」
「ほんまか・・・うれしいこと、ゆうてくれんなぁー・・・もっと食べて・・・」

翌朝、兄夫婦と三人で幼少のころ過ごした町を訪ねてみた。
半世紀ぶりに見る町は、すっかり様がわりしていた。家のそばの南北に流れる堀が埋めたてられ、
上空を高速道路が走っていた。東京オリンピックのとき首都高ができたように、大阪万博のときにできたのだろうか。高速道路建設にともなって町も再開発されたらしく、区画整備され、ゴチャゴチャした昔の面影はなくなっている。
プーの家のあったところも更地になっていた。

ぽつんと取り残されたようにたたずんでいる近所の旧知のミヨ姉さんのうちにあがりこんで、小1時間、話しこんだ。半世紀前の思い出ばなし・・・4歳のプーが3輪車ごとどぶ川に落ちて、ミヨ姉さんに洗って着替えてもらったことなど・・・。
80歳を過ぎたミヨ姉さんはガリガリに痩せて、体が半分になったかのよう。
「みんな出て行った・・・立ち退きで・・・ええ時に来たなぁ、うちらも来月、引越しや・・・阿倍野に行くことになってん・・・また遊びに来て・・・」

プーが通った小学校を見に行った。
校舎が建て替えられ、どこにでもあるような建物に変わっていた。広大に感じていた校庭が、えっ、と我が目を疑うほど狭く、なにかの間違いではと、とまどい、それからヘラヘラ笑ってしまった。記憶という手品の種が見えたような気がした。

もうひとつ。
ミヨ姉さんちを出て、山口さんちを覗いてみたら、ひとみちゃんがいる偶然に驚いた。50にもなる弟が結婚もせず、ひとり実家に暮らすのが不憫で、ちょこちょこ世話に戻るらしい。
といっても、ほんねきにひとみちゃんも住んでいる。
ひとみちゃんとプーは、おさな友達で小学校も同じクラスだった。母親どうしが仲がよかったので互いによく行き来した。誰にも言わなかったが、きれいで頭の良いひとみちゃんを気にいっていた。初恋にも似た想いを抱いたひとみちゃんが今、目の前にいる。アンパンマンの顔をしたオバチャンがいる。記憶という手品の種が見えたような気がした。

帰りの新幹線の窓辺の席で、バッテラを食べビールを飲み、うつらうつらしながら半世紀前の美少女ひとみちゃんを想い浮かべていた。色白で背が高く優等生だった。大きな黒い瞳が印象的な美少女とさきほど逢ったばかりのアンパンマン顔のオバチャンが、同一人物とは信じがたい。
が、昔話をすると、確かに同じひとみちゃんだった。

年月の残酷さを想わないではいられない。脳や顔や肌や内臓や、いたるところの細胞が毎日、死滅する。50年の歳月は肉体をボロボロにするけれど気持ちは幼年時代とさして変わらない。
「少年、老いやすく・・・やねぇ・・・」
プーの白髪を見やってアンパンマンが笑う。

窓辺を流れる風景が熱海の海原になり、トンネルに入ったら、山ちゃんの顔が出てきた。病室で死期を悟っていた顔、クリスマスライブのときのはにかんだ顔、プーに初めて会ったときのとまどった顔、見おろすプーを受け入れず、撥ねかえし、これでいいんだよ、とそこに居ながらにして遠くにいってしまった死顔。
トンネルを抜けると、また海原だった。
山ちゃんの死顔はなぜか救済されたように見えた。なにから救済されたのかは分らないが、死はそれほど嘆き悲しむものではないよ、と語っていた。

大晦日のジャムセッションは盛況だった。
「月」でこんな大勢の客を見たのははじめて。平さんがホームページに案内をのせたので、日ごろ見たこともない人たちが7時ごろからポツリポツリ現れて、楽器持参者も何人かいて、平さんはPAやブッキングにかかりっきりで、奥さんは厨房で忙しく、で、プーもかり出されてお手伝い。

「3日前の大掃除を、今日のため率先してやりましてね、女房の機嫌を見計らって、
恐るおそる大晦日オールナイトジャムセッションの話をしましたらね、なんと女房喜んじゃって、
どうぞどうぞ、だって。それでもって今日、俺を早々と追い出しながら、言うことがふるってるんだ、
私たちもこれからおしゃべりセッションなのよ、だって・・・」
「うちの女房もね、1人でゆっくり紅白みたいから、そのセッションとやらに行ってくれば、だって・・・」
「俺たちぐらいの歳になって、子供が所帯をもって出ていって、夫婦ふたりっきりになったら、
それぞれ好きなことを好きなようにやればいいんだよ・・・」
「古希にもなって、朝から晩まで女房にくっついて、濡れ落ち葉とか粗大ゴミとか、
うとんじられている奴の気がしれねぇ・・・」

はじめのうちは学生ふうの兄ちゃんがギターソロをやっていた。そこへ体格のいい中年がベースを抱えてやってきて、平さんにお伺いをたてて、指示され弾きだした。ひと言ふたことギターリストと言葉を交わし、何度もうなずいている。
「まぁ、いっぱい飲んでからやれば・・・」
と客のひとりに言われ
「んー、とりあえずビール・・・あっ、ビール持ってきたんだ、車の中、取ってきます・・・」
その背に
「階段に気をつけて・・・」
と女性の声。
「月」の階段は狭くて急で危ない。今まで誰も転げ落ちたことがないのが不思議なくらい。
プーも手すりなしには降りられない。

帰りの新幹線の中で、大晦日のオールナイトジャムセッションを思い出していたら、情景がいつのまにか「ミラノ」のクリスマスライブに変わっていた。平さんのゆったりしたピアノ、マキさんのやわらかい声、ひかえめのベース。
おとなの音楽をしっとり聴かせていた。飲んだり、食べたり、話したりしながら、半世紀前にはやったスタンダードジャズを聴くのも悪くない、どころか、いい雰囲気だ。帰りがけのお客さんがみんな喜んでいたのが、嬉しい。

また窓辺の風景のなかに山ちゃんの顔がかすかに見え隠れした。
ライブの挨拶でメリークリスマスと言ったときの顔、病室で「ミラノ」を頼むよと言ったときの顔。後ろへ流れる風景のなかで、じっととどまっている山ちゃんに約束した。
「ミラノは、プーが引き継いで、やります」
電車が東京駅にすべりこむころには、プーの腹はすわっていた。


(3)
緊張しながら歌い始めたのは、平さんにレッスンを受けてる娘だ。ところどころ、はずしてしまうのも愛嬌だ。若くて、小学生みたいなオカッパで、可愛いからミスも受けてしまう。歌い終わったえりちゃんは、うれしはずかし、まんざらでもなさそうな笑顔。プーは、えりちゃんを応援したくなった・・・。

最後に平さんが入って全員でセッション。その流れで、みんなで氷川神社へ初詣。
「とにかく、病気をしないこと。したときはポックリ逝くこと。ミラノがうまくいくこと」
プーは、2つお願いした。

なにかを得ると、なにかを無くす。
なにかを無くすと、なにかを得る。

禅問答のようだけど、今回の帰省で感じたこと。
半世紀ぶりに、おさな友達のひとみちゃんに逢って感じたことです。
「墓地で花見をする」情景を想像して、感じたことでもある。

プーは、仕事と家庭を無くして、いきなり暗い穴に落ち込んで、みじめな思いをしたけれど、
そのおかげで退屈するほどの自由を得て、自分を持て余しながらも、なんとかやっていけそうです。


(4)
1月6日。
プー、ギー(桜木)、みやちやん(都)、ジュン、ナオ、オッス、全員あつまつて、お昼ご飯を食べる。
「ところで、プーさん、大阪に帰ってたんだって、どうだったの・・・」と、みやちゃん。
「墓参りしてきたよ、5年ぶりだった」
「お正月にお墓参りなんて、なんか、へん」ジュン。
「と、思うだろ、ところがけっこう参拝者がいてね、早朝だというのに、まるで初詣感覚なんだよな、
意外だったけど、なんだか理にかなっている気もしたね」
「どうだったの、5年ぶりの大阪は・・・」また、みやちゃん。
「どうって・・・あっ、そうそう、偶然、半世紀ぶりに初恋の人に会ったよ。嬉かった、というか、幻滅したというか・・・初恋の人とふるさとは、遠きにありて想うもの・・・なーんちゃって」
アンパンマン顔の話しはしない。
「なにカッコつけちゃって、親孝行ぶってお墓参りにかこつけて、初恋の人に会いに行ったんじゃないの」
みやちゃんの女の直感は鋭い。半分あたってないこともない。
「ところで、ナオ、山形はどうだった」
みやちゃんの追求をさけるため、プーは話をナオにふった。
「私もラッシュをさけて、年が明けてから帰省して、ひとり暮らしの母と水入らずで孝行して、昨日もどってきました。これ、おみやげ。」
おみやげの包みを解きながら
「またまたカッコつけちゃって、ナオが親孝行だなんて笑っちゃうよ・・・」
みやちゃんはナオのおみやげの饅頭をみんなに分配している。
そこへ、オッスも饅頭、プーも八つ橋を出す。
「なーんだ、帰省していた3人が3人とも饅頭か・・・」ぎーさん。


バイトの3人が帰った後、ぎーさんが明日の七草粥の準備をしていると
「パスタやピザにも入れてみれば・・・」
みやちゃんがすすめると
「そうだね、香りのあるものをパセリのようにふりかけてみるか、茶碗蒸しにも・・・」と、ギー。
「七草粥、茶碗蒸し、粕汁,おしんこ、みかん付。お代わりサービス。800円。コーヒー付1000円」
みやちゃんが決めてしまう。
「なんだか老人食だね。入院患者の食事に見えないこともない・・・」プー。
「みんな正月休みで飲みすぎ食べすぎだから、胃腸にやさしい料理でいいのよ」みやちゃん。
「プレーンのパスタと刻んだ七草と粉チーズを別盛りで出して、お代わり自由にしよう。」ぎー。
休み明けの心身ともにフレッシュな状態で、和気あいあいと明日のランチの下準備をしているところ
「敦子さんの所へ挨拶に行こう・・・」
プーが思いついたようにきりだす。


(5)
「その前に、ちょっと話しがあるんだけど」みや。
「・・・ミラノの営業時間のことなんだけど・・・朝からやって、モーニング出したらどうかしら・・・それも2、3種類に絞って、コーヒー紅茶、ミルク、ジュースぐらいに限定して、セミセルフと言うのかな・・・入り口のレジで注文と会計を一緒に済ませたら、私とパートさんの2人でできる、と思うけど・・・」
「何時から開店するの」ギー。
「8時か9時ごろ・・・」みや。
「それは、まぁ、いま決めなくても・・・」プー。
「できたら私、夜のスナックの仕事を辞めて、ミラノで朝から夕方まで働きたいの・・・」
正月休みの間、みやちゃんはそんなふうに生活の仕方を変えようと思案していたようだ。
「俺はみやちゃんの提案に賛成だけど、ギーさんはどう・・・」
「いいと思うけど、人手を入れてからだね」
「決まった、3人で敦子さんの所へ挨拶に行って、ついでにその件も話しておこう」
プーは敦子さんに電話をいれている。

「これでも2人の子供のことも考えているのよ・・・」
敦子さんの家に向かいながら、みやちゃんがしゃべっている。
「2人とも高校生だからね、難しい年頃なのよ。はっきりスナックをやめてとは言わないけど、
分るのよ、嫌がってるのが・・・ホステスみたいなまねはやめてって」
「ママには話したの?」ぎー。
「まだ、ミラノで朝から働けるめどがたてば話すけど、すぐにはやめれないと思う。
私のあとがまが決まらないとね、勝手にやめるわけにはいかないわ。
世話になったママに迷惑はかけられないし。
「ミラノ」の目と鼻の先で商売してるわけだし、筋をとうしておかないと後々めんどうなことになるし」

敦子さんの頭には白いものが目につき、急に老け込んでいた。
「昨日まで寝込んでいたのよ、これが本当の寝正月ね・・・」
それでも敦子さんは清酒と笹かまぼこの豆腐味とチーズ味、を出してくれて、お正月だからと言って4つのぐい飲みについでくれて、自分でも一口飲んだ。
「あーあ、おいしい。喪中なんて気にしないで。こうして3人してそろって来てくれて、お神酒を飲んでいただくと、山ちゃんも喜んでるわ、きっと」
ひととうり敦子さんのお話しを聞いて、打ち合わせどうり早めにおいとました。帰り際に、「ミラノ」を朝から開店したい旨をボソッとつぶやいた。
「いいんじゃないの」
3人を見送りながら、敦子さんが言った。


(6)
仏壇はまだなかったが、山ちゃんの机の上に位牌と写真が飾ってあった。
写真の山ちゃんは、若く、なんの屈託もなく笑っている。輝いている。その無邪気な明るい笑顔は、還暦をむかえる者が失った、なにか大切なものをあらわにしているような気がした。20歳過ぎの山ちゃんは、明るすぎる自分の未来をまぶしがっているかのようだ。ふり返ってみれば、プーにもそんな時期があった。

東京に出てきた20歳のころ、日々、自分の無能力を思い知らされた。きょう有頂天になったかと思うと翌日は劣等感にさいなまれ、酒でごまかし自分をなぐさめていた。
1日たつごとに夢がしぼみ可能性が消えていき、自分は何のために生きてるの、と問えば、アルコールなしには眠れない。そんな悶々とした日々にも友人ができ恋人ができ、生気みなぎり、笑みがこぼれることもあった。

いま思えば不思議だが、失業、離婚のどん底にいたとき、繰り返し幼年時代を想いおこしたわりには、青春時代は忘れていた。

脳の機能として、思い出したくないことは忘れるように設定されているらしい。なぜ、思い出したくないのか。

幼年時代の自分は隠しようもない素の自分なのに対して、青春時代の自分は素直でなかったから。
自分自身に誠実でなかったから、友人や恋人にも誠実でありえなかった。
若者特有の、てらい、おごり、たくらみ、嘘、はじらい、幻惑、陶酔、不安、劣等、傲慢、無知、それらが気まぐれに、でたらめに輝いていた。

壊れたガラスの器の破片のように、てんでバラバラに無秩序に光り、素手では触れないほど鋭利に尖っていた。それら、青春時代の行為や言動は思い出したくないから忘れている。が、不意になんの脈絡もなく脳裏に浮かびあがる事がある。
そんな時、プーは思わず、恥ずかしさのあまり、ロクロ首になってしまう。
たまに「うっ・・・」と声にならない声をもらしてしまうこともある。


(7)
とりあえず、「パート募集」のポップを店の内外に張った。

10食仕込んだ七草粥はたちまち売り切れ。あっさり七草パスタも好評。七草をちらしたサラダもいける。ぎーさんとみやちゃんは自分たちが考案した料理が人気で満足そう。今日の七草粥に手ごたえを感じたらしいみやちゃんが閃いて
「お粥モーニングなんかもいいかもね・・・」
プーとギーさんは、互いに顔を見合わせ、なんて返事していいものやら、ふふふ、と笑うのみ。
「これから毎朝、近所のモーニングの食べ歩きするわ」
すでにみやちゃんは、朝の開店にやる気満々でギーさんにお粥の炊き方を聞いたりしている。


めずらしく安田さんが1人でやって来てプーが、7時にあがるのを確認してから、いっぱい杯飲もうや、とのこと。安田さんは、あんちゃん、と呼ばれ、山ちゃんの幼友達で親友だ。日ごろ、2、3人の部下を連れてきて散財してくれるお得意さんでもある。従業員20人ぐらい抱える建築会社の二代目社長。
「ここでまぐろを食べれるとは、嬉しいね」
安ちゃんは冷酒を飲んでいる。

「イタリアンだけじゃ、飽きちゃうよ、だから正解だね。魚料理、煮物、豆腐などの和食、いいと思うよ
・・・敦子さんに会ってきたよ。やつれたね、まぁ、しょうがないけど。プーさんに任せるってよ、ミラノ。プーさんに引き取ってほしいんだって」
「引き取りたいけど、先立つ物が・・・」
「保証金の300万だけでいいってよ、あとは全部ぷーさんにプレゼントだって。で、一つだけ条件があってミラノの名前を残してほしい・・・」
「300万かぁ・・・」
「足りないようでしたら出資してもいいですよ、100万までなら。それに市でも借りれるし、いくつかの
公共機関も融資してくれますよ。なんなら、うちの経理に調べさせますから・・・」
「とにかく、2、3あたってみて、足りないようでしたら、お願いします」
それから、山ちゃんの追悼ライブの話になった。


帰省の間、しばしば山ちゃんの死顔が現れ、語りかけてきた。
「やっと、解放されたよ。なにからって・・・生きてる疲れ、悩み、欲、わずらわしい些事、病気の痛み」
「プーさんが、見舞いに来てくれたとき、自分の死を分かっていたよ。この世にさほど未練もなかったね・・・」
「あぁ、このまま死ぬかもしれない、と思ったんだよ。その時、なにがなんでも生きのびたい気になれなかった。もう、これでいいよ、そんな感じ」
「死ぬのか、本当に死んでしまうのか、そうか、そうなのか・・・しょうがない・・・まあ、いいや、はい、これでお終い」
帰りの新幹線が熱海にさしかかったら、窓辺の海に山ちゃんの死顔が浮かんでいた。


「49日の前に追悼ライブをやろうと考えている・・・」
いま思いついたばかりのことをポロリとこぼす、ほろ酔い気分のプー。
「いいね、いいね、やってよ、山ちゃん、喜ぶよ」安。
「みやちゃんが言い出しっぺ、なんですけど、朝から店を開けようと考えているんです」プー。
「敦子さんに、少しばかりミラノの経営内容を聞いたけど、月100万の売り上げじゃ・・・きびしいよ、だから朝から開店するのは賛成だね」安。
「募集のパートさんが入りしだい始めたいけど、みやちゃんがスナックの仕事を辞めないといけないので、その話しをママにしてからですね・・・」プー。
「ママとみやちゃんの2人でやってる店だからね、みやちゃんに辞められるとママも困るだろう・・・ママの店「銀」に働き手を入れてからだね。とにかく、ママに事情を説明して・・・」
「そうですね、それからですね、みやちゃんからママに話してもらいます。それに、いっきに辞めなくても、出番を減らしていく手もある」

「じつはね、敦子さんに頼まれたんだ。プーさんの相談にのってほしいって。だから、いくらでもいいから出資して仲間になったほうがいいような気がして・・・」
「敦子さんの気持ちはよく分かります。俺がミラノを引き継いだところで、いつまでもつことやら、心配なんでしょう。ごもっとも。ありがたいですよ、安ちゃんに中にはいってもらうと、心ずよい。今度の日曜日に従業員みんな集まって、これからのミラノについて話しあってみます。」
「だったら私も敦子さんをさそって、来ます。みんなで力を合わせれば、なんとかなるよ。ただ、基本的な営業方針は、プーさんが、決めたほうがいいよ」
「基本的な営業方針なんて、俺、わからへんけど・・・とにかく、みんなの意見を聞いて・・・」
しどろもどろになる、プー。
「なんならママにも声をかけて、呼んでみたら。知らない間柄でもないし、ミラノの内情を知ってもらうきっかけになるかも・・・そうすれば、みやちゃんの退職話しも納得しやすい」
安ちゃんが提案するが、あまり人が多すぎても、収集がつかないおそれが・・・

「銀」の客のほとんどは常連さん。その半分がママの客、半分がみやちゃんの客。だから、みやちゃんが辞めると売り上げは半減するのはあきらか。
ママがおいそれと承諾するわけがない。

「安田です。」
「平(たいら)です」
2人は初対面なので、プーが、仲をとりもつように・・・
「誰も来ないもんだから、さきほどまで練習してたんですよ。正月もね、店は閉めてたんだけど毎日弾きに来てたんです。家にいて46時中、女房と顔を突き合わせているのもね・・・。ここに来て、レコードを聴きながら本を読んだり、鍵盤に触れたりしているほうが、安らぐね。それにあれだよ、ミラノでクリスマスライブをやってから、急に練習に身が入るようになってね。自分でもおかしいんだよ・・・」
笑いながらも嬉しそうな平さん。
「いつの間にか忘れていた、人前で演奏する喜びを思い出しちゃったよ・・・」
「実は、聴きに行ったんですよ、クリスマスライブ。よかったですね・・・」
「それはどうも。ぼくたちも、やっていて楽しかったよ。お客さんも、もりあがっていたし・・・」
「平さん、山ちゃんの追悼ライブをやりたいんだけど」
プーが話しをきりだす。
「やってほしいね、あまり大げさにしないで、山ちゃんを偲んで、ってことで・・・」
「僕はいいですよ。マキさんたちしだいですね、問い合わせておきます」
平さんもやりたいようだ。


(8)
みんなで集まって「ミラノ」のこれからを話し合う前に、ギーさんとみやちゃんに簡単に話しておいた。安ちゃんが間に入ってくれて、保証金の300万だけで済むこと。「ミラノ」の名を残すこと。プーが生命保険を解約して200万、安ちゃんが100万いれるが、運転資金として、あと100万欲しい。できれば、ギーさんとみやちゃんにも入れてもらって、会社組織にしたい。
「よく分からないけど、要するに株主になるわけ・・・?あ、そう、従業員で株主なのね。私、10万が限界」みや。
「女房に相談してみるけど、2、30万ぐらい・・・」ギー。
川島さんに話してみると、50万、出すと言う。意外と持っているのと、気前がいいのにビックリ。あとあたってみたい人がいる。

みやちゃんの発案により、朝10時に開店している。ランチの仕込みをしながらなので、たいした物はできない。コーヒー、紅茶、ミルク、ジュース、300円、トーストを付けると400円、11時まで。これからの朝営業のための予行演習と宣伝を兼ねている。11時半からランチタイムだが、実際12時にならないと客は来ない。
それまでにポツリポツリとコーヒーを飲む客が7、8人くる。みやちゃんはそんなお客さんの話し相手をしながら、手ごたえをつかんでいるようだ。
喫茶店やファストフードのモーニングを食べ歩いて、どんなものが人気なのか、単価、客層などを調べて、いちいちそれをギーさんとプーに報告している。
「そのたびに話されても、ゴチャゴチャになって、すぐ忘れてしまうので一覧表にしてよ」ギー。
「それは、プーさんに頼んで・・・」

まず、競合店を含んだ略図を作った。地図に駅や人の流れを書き込んだら、「ミラノ」は流れの外にあった。それは前から分っていたが、絵にしてみると立地条件がなにか大切なことを物語っているように思えた。
駅に近く、人の流れの多いところほど大手のファストフードチェーン店が占拠していた。朝は回転が速く、若い勤め人が多い。電車に乗るまえにサッとお腹に入れておく、そんな感じだからスピードと安さが求められる。

大手と同じことをやっていては、やっていけない。大手の特徴は、速くて、安くて、まずくない味、マニュアル接客と作り笑い、掃除の徹底、無休の長時間営業など。まねていいのは、掃除の徹底ぐらい、他はおおむね反対のことをすればいい。

まあ、それが、プーのおおまかな経営方針。
大手飲食店で働く人はシステムどうり動くマニュアルロボットのようだけど、「ミラノ」では、あくまでも、ギー、みやちゃん、プー、ナオ、ジュン、オッス、名前と個性を持った人間だ。大手は働く人間が多いだけに人間性を殺してシステムで商売するが、個人店では働く人の人間性を生かすより手はない。

ただ、人間性というやつはあまりにも多様でむらがありすぎるので大量生産、大量販売、大量サービスのネックになる。人間性は工場化できない。


「ママに話したらね、はじめ怒っていたけど、話し終えるころ、めそめそしていたわ。それで、あまり強く言えなくて・・・」
みやちゃんの話しを聞いて、プーは安ちゃんを誘って、スナック「銀」に顔をだした。カウンターに6人、奥のボックスに6人で満員になる小さな店。
プーも安ちゃんもたまには顔をだすが、一緒は初めて。先客が2名いて、かわるがわるカラオケで歌ってる。近所の商店主の常連らしい。みやちゃん相手に軽口たたいて、おどけ、笑い、歌い、酔い憂さを晴らして帰っていく。
バブルのころはそんな客でいっぱいだった。
貸切のパーティーもちょくちょくあり、ママは左うちわだった。それが今では、閑古鳥が鳴いている。
今日1日で、先ほどの二人とプーと安ちゃんの4人だけ。暇をぐちる、そんなママを相手に小難しい話しもできない。
プーは、安ちゃんを「月」へと誘った。

ここも、閑古鳥が鳴いている、というか歌っているというか・・・。
平さんのピアノでえりちゃんが練習している。ウィスキーソーダーを2つ作ると
「ちょっと待ってて・・・」
平さんはピアノにもどっていった。
2人はえりちゃんの歌を聴きながら、グラスを合わせた。

「あの客の入りでは、みやちゃんにお給料をわたしたら、たいして残らないんじゃないかな・・・」
安ちゃんがひとり言のようにつぶやく。
「暇な日は、みやちゃんを早く帰すらしい」プー。
「銀」の経営状態は分らないまでも、察しはつく。土日と祭日が休みだから、営業日数は約20日。1日の売り上げを2万として、月40万。みやちゃんにお給料渡して、諸経費を支払うと、残りはすずめの涙。ママさんはマンション持っているからなんとか暮らしてゆけるけど、苦しいね。
「ママさん年金もらってるのかな、・・・?」安。
「さぁー・・・」プー。

平さんの「月」も似たり寄ったり、というか「銀」よりも売り上げは少ないはずだが、持ち家で2人の年金で暮らせるから、店は趣味の延長線で、人手もつかってないし、家賃、光熱費、仕入れ代などを払えさえすれば、それでいい。
老後の夫婦の過ごし方としては、悪くない。そのてんママは息子が出て行って、ひとり人ぽっちだから、いろんな意味で先行き不安だ。

「1月の最後の日曜日なら、なんとかできそうです。あのマキさん夫妻にドラムが入ります」平。
「平さんバンド、落ち着いて、しっとり聴かせてくれるからミラノの客には、いいんじゃない」安。
「ドラムもそんなに、叩かないから・・・客に合わせてくれる」平。
「私にも、ビールください」
レッスンを終えたえりちゃんは、スポーツジムから出てきた娘のようにさわやか。


(9)
「何か食べるもの、ないの?」
開店の10時前に入ってきた客がねだるように、みやちゃんに言う。
「トーストか、お茶ずけなら・・・」
とっさに返事してしまうみやちゃん。
「じゃー、お茶ずけ。コーヒーのお代わりはサービスかい?」
またもや、とっさに、ええ、と返事してしまったみやちゃん。
「お茶ずけを食べ終えたら、お代わりのコーヒーをください。で、いくらなの?」
またまた、とっさに、ギーさーん、と呼んでしまう。
ずうずうしく、なれなれしいオッサン。やたら話しかけてきて、世話をやかせる。開店準備の忙しいさなか、困ったお客さん。
「トーストのモーニングが400円だから、お茶ずけなら500円でいいんじゃないの。あの・・・サービスのおかわりコーヒーは1杯だけね」
ギーさんはカウンターからチラッと客を見る。もう1度見る。ずーっと見ている。
「・・・なんや、川島さん、どうしたの」
「・・・おっ、やってるね、朝帰りといっても明け番よ、タクシーだから。いつもならコンビニに寄って帰るんだけど、ふと、ここを思い出して来てみたわけ。そしたら、きれいなお姉さんが、開店まえからモーニング出してくれると言うし。お茶ずけがあるなんて、嬉しいね」
川島さんはやたらみやちゃんを持ち上げて、お茶ずけをかき込んで帰る。
「日曜日、プーさんと一緒に飲もうよ」
帰りがけに、ギーさんに言いながら、みやちゃんも誘っている。

「ミラノ」を譲り受けるかどうか思案しているとき、プーの背中をポンと押してくれたのは、川島さんだった。1年前、ハローワークで知り合って、ギーさんを誘って3人でちょくちょく飲んでいた。3人とも失業者で同病相哀れむ感じで、実に暗かったが、川島さんは自嘲的に笑うだけで、ぐちることも将来を悲観することもなかった。プーと違って失業経験も何度もあり、女房子供もなく、親族はお姉さん1人だけで、あとは余生と達観しているふうにも見えた。
そんな川島さんが後押ししてくれ、意外にも出資してくれる。そんな金あるんかいなー、と、プーはいぶかったが、誰よりも早く振り込んでくれた。その金の出所は言わなかったし、聞かなかったが、余裕があるというか、どうでもいいというか、こだわりがなかった。
「ミラノ」がつぶれたら出資金はどうなるの、といったヤボなことはいっさい触れず、契約書とか領収書も求めなかった。あっさりしたものだった。川島さんの言動に反応するように、ギーさんが加わり、みやちゃんも小額ながら出資してくれる。


「ミラノ」をひきついで、わかったのは、売り上げが伸びているはずなのに、赤字が月20万もでることだった。安ちゃんが自社の経理マンに頼んで分析してくれたが、プーには、よく分からなかった。店の休みの日曜日、みんな集まってもらって、経理マンの話しを聞いた。

「以前の経営状態のことは、よく分かりませんが、夫婦だけででやっていたので、人件費がかかっていませんが、今は80万円かかっています。これは、売り上げの50パーセント。多すぎます。30パーセントにしてください。とにかく、売り上げを200万円に上げて、
人件費を30パーセントの60万円に抑えること。それをやらないと、あと4ヶ月で資金ショートします」
運転資金として用意してあった100万円が、半年たらずで消えてしまう。
プーには予想外のことだった、と言うより、考えが甘かった。ギーさん、みやちゃん、安ちゃん、敦子さん、川島さん、バイトの3人、みんないるから、なんとかなるだろう、ぐらいにしか考えていなかった。
「売り上げ、いくら。人件費、いくら。仕入れ、家賃、光熱費、消耗品、広告宣伝費、リース代・・・数字を出して、計画案を作らないと」
経理マンは、ちょっとあきれた表情で安ちゃんを見やる。
みんな、ずらーっと並んだ諸経費の数字を眺めているだけで、言葉がでない。
「とにかく、現実がわかっただけでもいいんじゃないの・・・」
お手上げ状態の暗い雰囲気のなかで、みやちゃんが、元気よく言い放つ。
「気が付いたら、店がつぶれてた、と言うよりましじゃない。・・・これから、みんなで、ちからを合わせれば、なんとかなるわよ」

みんなが帰ったあと、プー、ギー、みやちゃん、安ちゃんの4人が残り、話し合う。
「おれ、給料、半分の10万でいいですよ・・・いままでそれで生活していたから」
プーがきりだすと
「おれも、10万でいいです」
ギーさんの奥さんは、公務員で娘は社会人になっているから、余裕があるが、みやちゃんは、そういう訳にはいかない。
「この春から、上の娘が大学(夜間)に行くことになったので、昼間ミラノで働かせたいの」
しばらく、みやちゃんの上の娘メグの話題に移る。
「就職が決まっていたのに、メグったら、年が明けてから急に進学すると言い出して・・・」
みやちゃんは、困ったような、嬉しいような、まんざらでもない表情。

「朝、7時からオープンしたら、どうかしら・・・早朝は散歩するお年寄りが多いから。それから、ランチタイムの後、3時から5時まで閉めているけど、ティータイムとして開けたら・・・」
みやちゃんが一番売り上げのことを考えている。

誰にも異存はなく、みやちゃんの娘メグとパートをもう一人いれて、営業時間の延長が決まる。
みやちゃんの計画どうりいけば、時間延長で売り上げは200万にとどくが、また人件費が増える。


(10)
去年の秋、山ちゃんが入院してから、プーの生活が一変した。
失業中は何もすることがなく、宙ぶらりんで、ウツぎみだった。「ミラノ」で便利屋のごとく、4、5時間働いて、土日祝日休んで、簡素で貧しく、のんびりしているのが、性に合っていた。ところが今では、休みは日曜日だけ、毎日12時間も働いている。疲れはて、休日は夕方まで寝ているしまつ。考えるひまもなく、ウツになるひまもなく、時はすぎていく。ワーキングプアーって、プーのこと?


マキさんの都合で3月末にずれこんだ(追悼ライブコンサート)が敦子さんの申し出により(新春ライブコンサート)に変わった。
「プーさんたちの気持ちは嬉しいけど、あまりおおげさにしたくないのよ」
安ちゃんを伴って、敦子さんが断りを入れに来たので、その場で変更した。
ついでながら、ライブで出す料理や料金の値上げを相談すると
「もう、プーさんたちのお店なんだから・・・」
敦子さんは「ミラノ」のことで口出しはしたくないようだった。その代わり、安ちゃんが、ポツリ意見を置いていった。
「クリスマスライブは2000円だったけど、こんどは少し値上げした方が言いと思う」
安ちゃんは、ついでにこんなお土産も置いていった。
「閉まっていたガソリンスタンドの後にイタリアンチェーンSが出店するってよ」
「ミラノ」から500メートル離れた県道にSができると、痛手は大きい。いきなり胃の底に比重のおもたい液体を流しこまれたよう。プーは左手の指先をそこにあてがい、押さえ、揉んだ。

「2500円でいいんじゃないの」
みやちゃんのひと言で、あっさり決まり。
妥当なところ。プーも同意して、料理をギーさんにたのむ。
「1ドリンク食事付き2500円はお手ごろだね、いい物だして、また来てもらえばいいんじゃないの」
40人分の料理を出せるので、ギーさんは張り切っている。
「腕の見せどころ、だね」
みやちゃんに、つっこまれ、ふふふ、と笑っているギーさん。
いろいろメニューを考えるのが楽しいらしい。

「ギーさん、にやついてる場合じゃないんだ。県道の角のあと地にSができるんだって、安ちゃんが言ってたよ」
ギーさんもみやちゃんも、しばらくその意味を考えているふうだった。
「いつ、いつなのよ、Sができるのは・・・」
みやちゃんが怒ったように聞く。
「夏、8月だってよ」
安ちゃんから聞いた話しをそのまま伝えると、2人はしょんぼりして、口数がとだえた。

朝7時に開店して、新しいパート広さんが入り、みやちゃんの娘メグも手伝いはじめ、朝の売り上げはぐんと伸びている。いままで準備中にしていた3時から5時までの2時間をティータイムとして営業しだしたので、そこそこ入っている。
ライブコンサートなどで新たな客をつかんでいけば・・・赤字解消ともくろんでいただけに、Sの出店に出鼻をくじかれた感じのプーと2人。  

3人ともSで食事をしたことがあるので、あらかた知っている。とにかく安い。250円でスパゲティーが食べられる。200円でソフトドリンク飲み放題。値段の勝負では勝ち目はない。
「だいじょうぶよ、だいぶ離れているし、あそこはロードサイド店だから客層が違うし」
男2人を元気づけるように、けなげなみやちゃん。
「今からSのことを考えてもしょうがない。できてからでいいんじゃないの。
それよりティータイムをなんとか工夫しないと」
ギーさんは、ティータイムをパートさん1人でこなせないかと考えている。

朝7時からのスタートはみやちゃんと広(ヒロ)さん。
10時からヒロさんの代わりにメグが来て2時まで働いていく。11時から、プーか、ギーさんのどちらかが出て、3人でランチタイムをやる。
朝のお客さんは忙しいほど来店するわけではないけれど、決まった時間に決まった人が平均して入って来るので、商売がしやすい。
お茶ずけ、おにぎりモーニングをはじめてから、常連さんがポツリポツリふえてきた。昼の和定食も人気で、朝と昼に関しては手ごたえをつかんでいる。あとはティータイムと夜をなんとかしないと・・・


(11)
夜の常連さんでもあった、プーの家主さんで山ちゃんの友人、竹本さんが、くも膜下で倒れた。安ちゃんが病院の帰り「ミラノ」に立ち寄って報告してくれた。一応、手術はうまくいったが、後遺症がどれほどかは、分らない。

1人っ子の娘が短大を卒業すると、計画どうり妻と娘が一緒に家を出た。まえまえから、その日を待っていて、すでにマンションを購入するだけではなく、昼間はその部屋で過ごしたり、娘は半年も前から寝泊りしていた。竹本さんは、そんな親子の秘密にまったく気づなかった。妻の勤務先の社長が弁護士を伴って竹本さんに会いに来て
「どうか、彼女(竹本さんの妻)を自由にしてやってください」
といって、頭をさげた。
弁護士が慇懃に示談書を説明し、離婚届に捺印をお願いしたい、と頭をさげた。竹本さんは、カッと頭に血がのぼり、弁護士の言っていることが何ひとつ理解できなかった。飛び掛り殴りつけたい衝動を抑えるので精一杯だった。本能的に妻がこの社長のめかけであることを悟った。思えば、大柄な弁護士は社長のボディーガードでもあったのだ。

1週間後、示談書を山ちゃんに見せた。
「これは・・・竹本、天罰やな・・・」
黙ってうなずいていた。それまで、妻を恨み社長を恨み復讐を考えていたのが、朝もやのごとく消えていった。まだまだ恨みはくすぶっているけれど、今までの自分の行いを反省してみれば、嫌がらせで離婚を引きのばすのもどうかと思って、山ちゃんに相談した。

山ちゃんが知っているだけでも、竹本さんの妻にばれた浮気が2回。
そのうちの一つは、相手の女の亭主が竹本さんの家に乗り込んできて、妻を脅した。直接、会社にも行って、竹本さんの浮気を上司にばらした。その男は、元やくざもんのチンピラ。

「それ・・・美人局じゃないの」
山ちゃんの言葉に、竹本さんは半信半疑だったが、結局、金をむしり取られた。会社でも左遷され、倉庫番にとばされた。なかでも一番こたえたのが、妻からの信用がなくなったこと。それいらい、妻は、竹本さんの寝床での求めに応じることはなかった。夫婦の会話も途絶えた。間に娘を介さないと、何の用もたせない。口もききたくない、顔も見たくない。
妻はそのときから離婚を決意し、娘が大学を卒業するまでの4ヵ年計画をたてた。
「身から出たさびやね・・・安ちゃんの弁護士に頼んであげるから、弁護士同士で決めてもらった方がいいね」
高校時代の友達だけに、2人はひとに言えないことも、なんでも話しあっている。


安ちゃんが「ミラノ」に顔を出した日、プーはまっすぐ部屋に帰りたくなく「月」に寄った。10時ごろ、客は誰もいない。平さんはパソコンをいじっていた。
「そうそう、日曜日、ここでマキさん達と練習しましたよ、ドラムをいれて・・・」
「ドラム・・・ねぇ」
「ベースの知り合いで、同年輩で・・・」
「あんまり、ドンドコやられると・・・」
「ミラノ」の客層が中高年にかたよっているのでドラムに気をつかってしまう、プー。
「説明しておきます。いろんな所でやっていたから、その場に合わせてくれます。音も良くなってますよ」
「ピアノトリオ、プラス、ボーカルか・・・」
「そうそう、一番オーソドックス」

平さんに、Sの出店ばなしを振ってみたが、知らなかっただけでなく、興味をしめさなかった。「月」とSでは店の形態がまるっきり違うので、影響はない。それに、平さん夫婦は年金で暮らせるから、店の売り上げは、さほど生活に関係ない。そこが、プーと違う。
夏までに資金ショートしそうだし、競合店はできるし、それやこれやで、もやもやしたものがわだかまっていて、それをポロッと吐き出しに「月」に寄ったけど、お門違い。
平さんは次の新春ライブコンサートに夢中で、プーのもやもやには、気がつかない。竹本さんのくも膜下の話しにものってこなかった。
「早めに店にきて練習してるんです・・・ピアノのためのCDカラオケがありましてね、これがスグレモノで・・・」
平さんは、ウキウキ。


女房に逃げられてから、竹本さんの生活は以前にもまして乱れた。
大崎にある倉庫の仕事が終わると川越まで帰ってきて「ミラノ」でビールを飲みながら夕食をとる。山ちゃんと雑談するために寄っているようなものだ。
近辺で食事をした後もチョコッと顔を出して、山ちゃんと話して帰る。カラオケの好きな竹本さんは、
それから2、3軒スナックをはしごする。たいてい最終バスに乗り遅れ、タクシーで帰る。
翌日、また山ちゃんにおもしろおかしく一日のあらましを聞かせる。給料のほとんどを遊行についやしているようだ。
「例の、示談の件、どうなったの・・・」
「あっ、言うの、忘れてた。財産としえ500万、慰謝料として500万、計1000万で手を打った」
「それは良かった」
「良かったのかどうか、分らん。来週、弁護士立会いで入金と捺印をすることになっている」
「竹本なぁ、その金に手ぇつけるなよ・・・弁護士か安ちゃんに預かってもらえ」
意外なほどの山ちゃんの物の言いように、竹本さんは身を引いて小刻みにうなずいている。最近、倉庫番の相棒とつるんで、後楽園の場外へかよっているのが、山ちゃんとしては気がかりだった。

ママの顔を見に久しぶりに「銀」に安ちゃんと連れ立って寄ってきた。客はいない、ぼんやりテレビを見ているママ。
「もう、閉めて、帰ろうと思ってたのよ」
まだ10時にもなっていないのに。
「最近、客足の途切れたところで閉めてるの。そのかわり、昼間、カラオケ教室やってるの。毎日ではないけど、12時から4時ごろまで。教えると言うほどでもないけど、ちょっとワンポイントアドバイスぐらいはしてあげてね。かわるがわる歌ってもらってるの・・・」
みやちゃんが辞めて売り上げが減ったけど、給料を出さないので、ママの収入が半分になった
訳ではない。カラオケ教室を始めたので、収入はさして変わらない。
結果的にみやちゃんを引き抜いたかたちになっていたので、プーは、ママの収入が気になっていた。みやちゃんの退職を機会に店を閉めることになったら、責任を感じてしまう。
「カラオケ教室はね、ほとんど奥さんたちだから、気楽だわね。それに、飲食物持込OKにして、
たのまれない限り何も出さないの、場所貸しみたいなものね」
安ちゃんもママの状況変化の対応ぶりに関心しきり。
「プーさん、ママにならってS対策を考えないと・・・」
ママを心配して来たのに、安ちゃんに心配されるしまつ。


安ちゃんとママで竹本さんの昔話になった。
「竹本さん、入院したよ」
「うん、聞いた、くも膜下だって?」
「1日、部屋で気を失っていたらしい。無断欠勤した翌日も出てこないので、上司が電話したところ、休んでないといいはって、出勤してきたときは目は真っ赤に充血して、異様な顔でその場に倒れこんだので、救急車を呼んだ。容態を安定させてから即手術、でも後遺症は残るらしい」
「竹本さん、1人住まいだったから・・・」
「上司の電話に反応しなかったら、そのまま孤独氏だったね」
「よくまあ、それで電話に出れたわね、意識不明なのに・・・」
「まあ、不思議だね、でも1週間ねむりつづけていた人が親しい人の呼びかけで目をさましたこともあるよ」
安ちゃんとママの話しをききながら、プーは、このところの竹本さんの無軌道ぶりを思いかえしていた。毎日のごとく、夜中の2時3時まで飲み歩いて、酒に溺れていた。

「竹本さん、離婚してから何年もしないうちに再婚したでしょ。その相手、知っているのよ、わたし・・・」
ママが話しだした。
「竹本さんがくも膜下になったのは、その女のせいよ。もちろん飲みすぎと不摂生で本人の責任だけど・・・その女はね、スナックAで働いていたの。歳だし、あの容姿でまともな会話もできないので、カウンターにはいって、飲み物やおつまみを作ったり皿洗いやってたわけ。竹本さんが、しょっちゅうカウンターで飲んでいるうちに仲良くなったらしい。Aのマスターに聞いたの」

この近辺だけでもスナックはゆうに10軒以上ある。10坪足らずの小さな店ばかり。限られた客がそれらを回遊しているから、情報がつつぬけ。商店会の集まりもあり、客や従業員の噂はパッと広まる。
「その女の評判、悪かったのよ。3回離婚していて竹本さんで4回目。
そのたびに、大金を持ち出しているらしい・・・」

ママの話を聞いて、安ちゃんも思い出した。
「山ちゃんがね、披露宴だけでもしたら、と言ったら、その女性が反対したので、敦子さんが親しい人だけでも集めて紹介する場を設ければ、と勧めたんだけど、結局その女性が、うん、と言わなかった。しばらくしてから、俺と山ちゃんだけ呼ばれて行った、お祝い物をもってね。そしたら、スナックのつまみみたいなものと缶ビールを出されて、奥さん、ろくに挨拶もしないんだよ。変だ思ったなぁー。なんでこんな女と再婚するんだろう、不思議だった」
安ちゃんと山ちゃんと竹本さんは小さい頃からの学友だ。
竹本さんも2人にだけは彼女を紹介しておきたかったと思う。帰りのタクシーのなかで、山ちゃんが話してくれたんだよ。
「はじめ、あいつ、養子に入ると、俺にうちわけたんだ。なんでも、女の84歳になる母親が
アパートを二棟もっているので、入り込めば、後はそれで暮らせる。家族は老婆と難病もちの妹だけだから・・・」
山ちゃんは嫌ぁーな感じがした。
「アパートという餌をまかれて、飛びついたんだよ、あいつは」

竹本さんが餌に噛み付いたのを感じとったのか、養子の話は母が頭をたてにふらない、とかなんとか言っているうちにうやむやになり、女は自分の家と竹本さんの部屋を行ったり来たりしていた。再婚してまもなく、竹本さんが大阪に単身赴任すると、週に一回だけ竹本さんの部屋に行き、あとは自分の家からスナックにでていた。
竹本さんは月に1度、3連休をもらって川越にもどってきて2泊して大阪に帰る。
そんな新婚生活も二年足らずで解消。

はじめの女房と別れたときに社長からもらった慰謝料を頭金にしてマンションを買った。
安ちゃんにすすめられて名義も娘と共同にした。そうしたら再婚相手の女が、娘の名義を自分の名義に変更するよう求めた。
竹本さんは娘になにか残してやりたかったので断った。すると、女は態度を急変させ、自分には法律に詳しい人がついていると、暗にほのめかした。
竹本さんも友達に弁護士がいると、突っ張った。

3連休をもらって川越に帰ってきたら、金目のものはすべてなくなっていた。
残ったのはマンションだけ。娘と共同名義にしておいたのが幸いした。マンション以外の財産は
全部持ち出して、生命保険などもみんな解約してあった。
竹本さんは、その女との離婚に関しても山ちゃんに相談していた。なんとか、持ち去られた金を取り戻したいようだった。安ちゃんも山ちゃんからその話を聞かされていた。が、単身赴任で本人がこちらにいないので、夫婦のゴタゴタはいっこうにかたずかない。
単身赴任をとかれて半年後に戻ってきたときには、竹本さんは、あきらめていた。その女に狙われ、はめられ、だまされたのをやっと悟った。


(12)
どいうわけかクリスマスライブコンサートにくらべ、予約の入りがいまひとつだった。日にちが悪かったのか、宣伝がたりなかったのか、原因が分からないで首をかしげている。クリスマスライブコンサートは当日を前にして予約完売していた。そのせいか、今回も予約完売するものと思い込んでいた。そのへんがシロウトのあさはかさ。
「プーさん、クリスマスコンサートに来たお客さんのリストはあるの・・・?」安。
「名前と電話番号だけなら・・・」プー。
「これからは住所も聞いておいて、DMを出した方がいいね。いまからでも、めぼしい人にメールや
電話したら・・・」安。
うなずきながら、ライブコンサート専用の顧客名簿を作ることにした。
「プーさん、いっそうのこと、ホームページを開設したら、
ブログやツィッターで店の宣伝をすれば・・・」安。
「うちのシステム部にたのめば2、3日でできるよ。余ってる古いパソコンもあるし、
金をかけないでできるはずだよ」

「銀」のママがカラオケ教室の客を4人連れてきた。安ちゃんも会社の人間を4人連れてきた。平さんの客が6人。川島さんも女性同伴で来た。気をもんでいたけど、みなさんの協力でなんとかなりそう。

前日、仕入れ業者を回った。肉や、魚や、八百屋、米や、その他、食材店を訪ねて、支払期限の1ヶ月延期をお願いした。山ちゃんから引き継いだ仕入れ先なので、プーにはなじみが薄い。信用もない。手のひらを返したように露骨に嫌な顔をされる。事情を説明し、頭を下げ、なんとか了承してもらったが不愉快でしかたない。

なかで一人だけ
「あっ、そう、分った、たいへんだね・・・」
魚政のまさやんだけ表情ひとつ変えず納得してくれただけでなく、励ましてくれた。
「ギーさんにたのまれてね・・・そのコンサート、行くよ、女房と」
「ありがたい、地獄に仏・・・」
「よしてくれよ、からかっちゃぁいけない・・・ギーさんがコンサート用にスモークサーモンを
とってくれたんで、まぁ、もちつもたれつってところ」
ギーさんは仕入れ業者に声をかけてライブコンサートの宣伝をしてくれている。みやちゃんも「ミラノ」の客でコンサートのチラシを手にする人に説明し、問いかけに答えている。みなそれぞれの持ち場で営業してくれている。

プーは、腹の中に残っていた、もやもやを吐き出すために、仕入れ業者まわりの様子を2人に話した。どこそこの、誰々は、顔色を変えて怒りだした。どこそこの、誰々は、目を細くしていやみをネチネチ。米やの親父は、ぷーの話の途中で足の先から頭のてっぺんまでなめるように見て、ふっ、と鼻先で息をふき、店の奥へ引っ込んでしまった。物まねしながら、ちょっとおおげさに話した。
「あの親父、むかつくわねぇ・・・わたし、まえから嫌いなのよ、やたら威張ってるでしょう・・・
店かえたら?米やなんていくらでもあるんだから」みや。
「まえから思ってたんだけど、仕入先をぜんぶ見直したらどうかな・・・」ギー。
「・・・そうだね、できるだけいろんな店から仕入れて、比べてみよう」プー。
「オレ、朝、市場を回ってから店に入るよ、毎日じゃないけど」ギー。
「安ちゃんがホームページを作ってくれるので、店の宣伝だけじゃなく、仕入れにもつかえるかも・・・」プー。

気をもんでいたライブコンサートの客の入りは、当日になってバタバタとかけこむ客で、なんとか、
ほぼ満席。嬉しい反面、今まで客の入りを心配していたのが、あほらしい。見渡せば半分以上は見知った顔ばかり。
「ミラノ」の常連さん、クリスマスライブに来てくれた人、山ちゃんの知人たちと敦子さん、
川島さんカップル、魚政のまさやん夫婦・・・。

平さんのピアノが鳴りだすまでの小いち時間、まるで親睦パーティーのよう。あちこちで人の輪ができ、談笑。甘いかもしれないけれど、損得勘定ぬきにこんな場を提供できるのも悪くないな、と思う。つまみの枝豆やから揚げなどで、もうかなり飲んでいるオジサンがいる。スモークサーモンサラダが好評。みるみる食べつくされ、皿が下げられていく。そこへ焼きたてのピザをどんどん運んでいく。
ライブ2度目のジュンとナオの動きがいい。オッスもまずまず、プーのお手伝い。はじめてのメグは厨房の中で、みやちゃんの助手。
平さんのピアノが鳴りだすと、ぴたりと話し声がやんだ。まるで、値踏みでもするかのような、耳、耳、耳。ベースがピアノを追いかけていき、ドラムがベースとピアノを取り持つようにリズムをきざむ。なんとなし、安どの息がもれる。

途中の休憩時に中年女性に話しかけられる。
「ここ、ピアノ置かないの?」
「置きたいけど、カネと場所が・・・で、いつもキーボードを運び入れて」
「アップライトだったら、あの壁際に置けば、さして場所はとらないでしょ・・・
わたし、家でピアノ教えてるの。生徒がピアノを買い換えるとき紹介するから引取りに行けば・・・アップライトだったら、ただ同然だから、もらえるわよ」
どこまで本気なのか、分らなかったが、とりあえずお願いしておく。

「クリスマスのときより音が良くなってる・・・気がする」
打ち上げでナオがもらす。
「わたしも、そんな気がした」
ジュンが同調する。
バンドのなかでただ1人居残った、平さん。
「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいよ。練習のしがいも、あるってもんだね。やっぱり、ドラムがきいていたね、うん。ああ、それから、プーさん。さっきのピアノの話、わたしにもお手伝いさせてくださいよ。引き取るまえに、ちょっと弾かせてください。でないとね、もらってはみたものの、使い物にならないことがけっこうあるのよ」
ただでピアノをもらったにしても、運送費はかかるし、客席は減らさなきゃならないし、調律にカネがかかるし、プーとしては頭が痛い。
「きょうのマキさん、声が伸びてたね」
「ナオちゃん、スルドイね・・・」
平さん、自分のことのように嬉しそう。
それから、来週みんなで花見をすることになった。

プーが仕入先で頭を下げて回ったあと、安ちゃんに会ったら、大きな封筒を手渡された。
「とりあえず、申請してみれば・・・」
それは公共の金融機関からの借り入れの申請書だった。書類が10枚ほどはいっている。
「分らないところは、うちの経理に訊いて、あとで寄こすから」
プーが明日のコンサートの心配をしているとき、安ちゃんは半年先の資金繰りを思案して、手を打っている。
「これを出しても、その場で受け付けることは、まず無いね。書類の不備をかならず見つけ出して、
書き直しを命じる。新たに書き直して持参すると、他に不足の書類があると言い、奥から紙をひらひらさせて持ってきて、インギンブレイにインギンブレイする。互いの無駄な仕事を作る、実に無礼な公僕なんだよ」
経理さんは、かなり役所の公僕を嫌っているもよう。
「何度も足をはこんで、これを受け付けてもらっても、審査に3ヶ月、受理されても
カネが振り込まれるのは、今から半年後」


(13)
コンサートの打ち上げもお開きとなり、みんなそれぞれに家路につく。方向が同じのオッス。
「プーさんの部屋にいっていい・・・?」
彼岸すぎても夜風は冷たい。うつむいていいにくそうに言うオッス。
横顔を見ると、能面のよう。
「いいよ・・・」
それ以上なにか言うと、オッスが泣きだすような気がして、何もたずねなかった。自転車を押しながら、黙って並んで夜道を歩いた。途中で
「さむい」
と言って、オッスは2つのバッグをぷーに手渡すと、陸上選手のようにスタートのポーズを決めてから走り出した。あわてて自転車で追走するプーに振り返ったオッスは、いたずらっ子のように笑って、また駆け出した。
「オイオイ、どこへ行くんだよ、こっちこっち・・・」


この寒さでは、来週の花見、1週はやいかも。
誰が言い出したのか、いつの間にか決まっていた。とにかく、雨さえ降らなければ、さくらの下でお弁当をたべましょう。飲んでもいいし、歌ってもいい。踊ってもいい。家族や友人を誘っての親睦。仕事場では見えない顔がみえたり、意外な人間関係があったりで、理解が深まる。
そうそう、花見のまえにゴールデンウィークの話が・・・・
毎年、ゴールデンウィークは店を閉め、山ちゃんたちは海外旅行に出かけていた。山ちゃんの友人やその家族もくっついていくので、総勢10人を超える団体旅行。夏の盆休み、お正月休み、とこのゴールデンウィークの年3回。1週間の休みを取って海外旅行するのが恒例。なんとも、余裕、贅沢,豪勢・・・
「今年は、店、休んでなんかいられないからね・・・」
みやちゃんのちょっと怒ったような物言いに、誰も反論しない。
花見の席で、またむしかえされるだろうが、今年のゴールデンウィークは営業することになった。

ハアーハアー荒い息をしながら部屋にたどりついたオッスは、入るなりいきなり2つの窓を
全開にした。冷たい夜風がふくらませなびかせるカーテンも全開。
「うーん、ナイスブリーズ」
「えっ、ナイスブリーフ?」
「ばかばかばか、風が気持ちいいって、言ったのよ」
「寒いんだけど・・・」
「なんか臭う、空気を入れかえないと・・・」
自分の臭いが気にならないように、自分の部屋の臭いも気にならない。が、他人の部屋に入ると、他人のにおいがする。あたりまえか、あたりまえだ。

オッスの相部屋のC の彼氏が遊びに来ていて、どうやら泊まりそうなので、帰りずらい。男は部屋に入れないことになっていたのに、彼氏ができてから、ほごにされちゃった。でも夜になると、気をつかって帰っていたのに、近頃、お泊りするようになった。
「帰り道、プーさんと歩いていて、急に思いついたの、今晩はプーさんの部屋にしようと」
「ずいぶん適当というか、成り行きというか、うら若き乙女のとる行動とは思えませんが・・・」
「あれで・・・プーさんは安全って、聞いてたから。プーさん変なことしないでね」
部屋の空気が入れかわって、冷たいが清冽な感じ。
2人で小いち時間、飲みなおして寝た。プーは自分のベッドで、オッスはソファーで。
パジャマと歯ブラシを持参していた。

翌日の昼、氷川神社まで散歩して、そこで別れた。

花は2分咲きといったところ。陽のあたるところは暖かいが、日陰はまだまだ風が冷たい。さくらの気持ちも分らないではない。いま、咲いていいのかどうか、まよってしまう天気。それでも、花見の客が2組いた。ヨチヨチ歩きの幼児をつれた20歳過ぎの若いお母さん。陽だまりでピクニック。その辺をチョロチョロする子供は目がはなせない。
お母さんに追いかけられ、キャッキャッと逃げまどう子供はうれしくてたまらないらしい。お母さんがちょっと目をはなすと駆け出し、追いかけてくるのをまっている。お母さんが子供の名を呼び立ち上がると逃げ出す。ギャーギャーと叫んでよろこび、よだれをたらして逃げ回り、足がもつれ、つまずき、たおれて泣きだす。
背後から、お母さんがすくい上げ、だっこして、ぶつけたおでこをなぜなぜして、
「いたいの、いたいの、とんでけー」
子供は母の胸に顔をうずめ、おとなしくなり、眠たげ。
母親と同じ年頃のオッスが覗き込むと、子供は上目ずかいにオッスを見てから、恥ずかしそうに、
また顔を胸にうずめた。

老人がさくらの木に背をもたせかけ、居眠りしている。たった一人の宴のあとの夢ごこち。そばには、食べ残した弁当、飲み干したお酒の瓶。
「あのオジサン、居眠りしながら笑ってるみたい・・・」
たしかに、口元がにやけて、ゆるんでる。
「どんな夢、みてるのかしら・・・」
「お母さんの胸の谷間に顔をうずめ・・・」
バアーンと、ぷーの肩をオッスが叩いた。


大晦日のオールナイトジャムセッションを終え、みんなでここへ初詣に来た。
震えながら暗闇の中、白い道を歩いた。太い荒縄を振って鈴を鳴らし、お賽銭を投げ入れ、拍手を打って、何を祈ったのだったか。
神道を信仰しているわけでもないが、ついフラフラと健康祈願と商売繁盛の御札を買い求めていた。思い出した。山ちゃんのご冥福を祈り、自分も長患いは勘弁してくれるよう、お願いした。
それから「ミラノ」のこと。両親の墓参。

さくらの木にもたれ居眠りする老人を見たとき、父の記憶がよみがえっていた。ぷーの脳みそに印刷された情景は、一枚の写真となって不意に現れる。そんなときは、言葉にならない声がもれて、呻く。ロクロ首になる。

小学校に入学して間もないころだった。友達と道草しながらの帰り道で、へたりこんだ酔っぱらいがなにやら叫んでいた。手は舞台の新劇俳優のごとく、目の前の空気をつかまえようとしていた。目は三角にとんがり、額から血がたれていた。転んだのか、喧嘩したのか、ズボンもワイシャツも泥だらけ。

小石を拾って投げつけようとする友に
「ほっとけ、ほっとけ・・・」
と制止しながら
「いこぅ、いこぅ・・・」
駆けるようにその場をはなれた。

たとえ助け起こせないにしても
「おとーさん・・・」
と言って、父の胸に飛び込めなかった、プー。



               終わり
               嘘日記 (その2) 「さくらの木の下で」
                           (これはフィククションです)



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