その4   (2011年11 月末記) 「結婚」

  (1)
夢を3つ見た。

ドライバーを打って、川島さんと並んでヘアーウェーを歩いていると、サッーと小雨が降ってきた。
晴れて陽がさしているのに。こりゃー、キツネの嫁入りだなぁ、と川島さんがつぶやいたのを聞い
て、学校帰りに幼友達のひとみちゃんが同じせりふを言って、スキップしながら駈けていった情景
が50ぶりによみがり・・・。

もう1つ。
バスに揺られながらイヤーホンで増田さんの音楽を聴いていたら、手すりのステンレスのパイプ
におでこをぶつけてしまい、ハッと我にかえり、乗り越しそうになったので、いちど閉じた扉を開け
てもらい、急いで飛び降りたら、そこはひとつ手前の停留所だった。
反射的に体がバスを追いかけようとしたが、走り去るバスの排気ガスの直撃を顔面に受け、その
場に立ちつくしてしまった。あわててバスを飛び降りたとき、忘れ物をした。が・・・なにを忘れた
のかも、忘れてしまった。

もう1つ、夢を見たはずなんだが・・・思い出せない。


「知らない人がいきなり会いたいって、電話してきたんだよ・・・」川島。
「鈴木って者ですが・・・今度、あなたの息子さんと、私の娘が結婚することになりまして。いちど、
お目にかかって、ご挨拶したいのですが・・・。一成さんですよね・・・息子さん」

「なにしろ、突然だったんでね、息子の名を言われてびっくりしたよ。あいつの母親の名前もあって
いたので間違いないと思う。でも、なんて返事していいのか困ってね、後で折り返し連絡すること
にしたんだけど・・・昨夜」

「島(川島)さん、結婚してたの?」プー。
「むかし昔、ね」
「子供もいたんだ・・・」
「男の子ひとり」
引っ越し祝い、と称して、島(川島)さんがビールとお寿司をぶらさげてやって来た。

「とりあえず会ってみようと思ってるんだけどね・・・。川越まで来てくれるというので、何ヶ所か会う
場所を考えたんだけど・・・結局ミラノにしようと思ってね」
「いつ?」
「今度の土曜日、6時からの予定。奥のあまりひと目に付かない席がいいんだけど・・・知り合いに
見られたくないんだ」
「分かった。つい立を用意しておくよ。で、あちらさんは、何人なの?」
「分からない。約束の連絡を入れたとき、聞いておくよ」

2人で飲んでいるのを知らせておいたので、仕事を終えてから、ギーさんが焼酎を
ぶら下げてやって来た。
3人でこうして飲むのは久しぶりだ。職安で、プーが島(川島)さんに声をかけられ、そこで、ギー
さんも島さんと話すようになり、失業者3人がつるんで島さんの部屋で呑んでいた。暗い春だった。
今年は花見なんぞして、なんだかんだと言いながらも、去年とはずいぶんと違う春だ。たいした
収入がないにしても、仕事があるだけで陽の当たる心地。しかも3人とも「ミラノ」の出資者。カッコ
良く言えば資本家。内実は肉体労働者なんだが。

「島さんに息子がいたとはね・・・初耳だね」ギー。
「そらそうだろう、今日はじめて言ったんだから」島。
「今まで隠してたの?」プー。
「隠してたって訳じゃないけど・・・忘れてた」
「忘れてた?結婚してたことも忘れてたの?」プー。
「うん、まぁねぇ・・・。だいぶ前に別かれたからねぇ・・・」
「それでその日、結婚する2人も来るの?」ギー。
「来ないと思う。たぶん親父1人、か、夫婦。まぁ、聞いておくよ、料理の都合もあるしな」
島さんは、プーの新居をひととおり見渡しながら、
「なかなかいいじゃない、このカーテン」
あごをしゃくって、からかうようにニヤついている。

窓にマチスの絵がプリントされたベージュ色の布。リビングとプーの部屋と事務所兼倉庫の窓に、
引越し祝いに「ミラノ」のみんなでプレゼントしてくれた。けっこうしたらしい。敦子さんが選んでくれ
たからセンスがいい。

「いいんだけどねこのカーテン・・・。でも独りもんのオッサンの部屋には・・・」島。
「いいんだよ、「ミラノ」の事務所だから」ギー。
「事務所向きでもないな、新婚の部屋・・・。あっそうだ、息子に何かお祝いをしなきゃ・・・」


(2)
7月も終わる頃、真夏日がつづくなか製氷機が故障してしまった。その間、平さんの店「月」や
「銀」、近所のラーメン屋、トンカツ屋、コンビニに走って氷を調達する。厨房内の冷凍庫で氷を
作ったりして間に合わせるが、なかなか修理に来ない。何度も電話でさいそくするも、
「この時期は忙しくて・・・あと3店舗まわってからお宅に伺いますので・・・今晩中に行けると思い
ますが・・・お宅は何時まで営業していますか?そうですか、たぶん8時頃には行けると思います
が・・・また、連絡いれます」だと。
8時と聞いたとき、ムカッ、としたけれど・・・とりあえずランチタイムはこなせたし、夜はさほど氷も
いらないだろうから・・・まぁいいか。そう思うと張りつめていた気もぬけてヘナヘナと座りこんでし
まった。

2時半、まかないの昼食を食べながら、ギーさんが敦子さんに問い合わせると
「もう古いのよ、その製氷機。10年以上たってると思う。年に何回か点検にきているはず
だから、誰か立ち会ってるはずだし、点検整備の報告書を置いて帰るから、あるはず・・・」
「そう云えば、忘れた頃やって来るメーカーの作業員がいたな・・・」ギー。
みやちゃんが点検整備の報告書のファイルを持ってきて、今年、3月と6月に来てるわね。
「ほらっ」
報告書を突き出しながら・・・プーさん、覚えてないの?
なんとなく、覚えているような、覚えていないような・・・。

「異常なしと書いてあるけど・・・パッキンなど部品交換してある」みや。
「思い出した、思い出した」ギー。
春、氷のデキが悪くなって、真ん中の穴が大きくなっていると作業員に言ったら・・・。
.「この機械、古いから・・・14年たってる。普通10年ぐらいが寿命なんで・・・。とりあえず、冷却用
のガスが減っていたので補充しておきました」
そんなこと言ってたな・・・。

ちょうどお客さんが引けて店じまいを始めた頃、業者がやって来て、ほんの10分ほど調べただけ
で、もうダメという結論。冷却用ガスが循環しているパイプが腐食して、何箇所も穴が開いている。
このパイプを交換するだけでかなりの金額がするし、交換しても他の所が次々ダメになるだろう
から、買い換えた方がいいとのこと。
「14年も使ってる店はないですよ」
と、変に感心される。

メカに弱いプー。ギーさんに相談して買い換えることにするが、新しい機種をどれにすべきか分か
らない。
「14年前に比べると性能が良くなっているから、これより小さい製氷機でも早くてたくさんできます
よ。パンフレットを置いて帰りぎわ、あす午前中に機種を選んで連絡
をもらえれば、夜、今頃の時間には搬入設置できますが・・・」
メーカーさんはうって変わって営業笑い。

かたずけを中断して、プーとギーは呑みながらパンフレットをめくっている。
30万から200万の間に20種ぐらい製氷機が並んでいる。「ミラノ」の氷の使用量から選ぶと50
万から80万ぐらいの物にしぼられる。あとはデザインと大きさ型の違いだけで性能はほとんど
変わらない。厨房の責任者でもある、ギーさんに選択を任せる。
性能はいままでの機種より良くてひとまわりコンパクトな物になる。60万円。
翌朝。
「60万?!なんで、なんでそんな高いの、ねぇ、なんで60万もするのよ・・・」みや。

確かに高いような気もするが・・・。製氷機メーカーは独占禁止法に引っかかるんじゃないかと思
える1社が圧倒的なシェアーを握っているので・・・価格の設定にも疑問があるな。でも、とにかく
今夜、設置しないと商売にならない。

「しゃーないな・・・高いけど」プー。
「プーさんの引越し代で40万、製氷機代で60万。借り入れした200万の半分が消えるのよ。
ねぇ、どうするのよ、借りたお金は毎月利子を付けて返すのよ。それ、忘れないでね」

「だったら、ローンで支払ったら」ギー。
「ローン組んだら、利息分プラスされるから、割高になるんじゃない?」みや。
「リースにしてもいいしさ」ギー。
「リースにすると、当然リース会社が間に入るわけだから、その分ピンハネされることになるんじゃ
ないの?経費の落とし方は分からないけど」みや。

製氷機の搬出搬入、設置の工事が始まるころ、安ちゃん、敦子さんもみえる。ちょうど、敦子さん
の顔見知りのメーカーの課長がいたので・・・。
「製氷機、これで3台目なのよね・・・」
課長は、もみ手で笑いながらうなずいている。
「課長、明日、全額振込みますので、ちょっとアレしてよ」
安ちゃんは取り出した名刺にちょこちょこっと何やら書き込んで課長に渡す。プーが値引きの話を
もち出したとき、まったく取り合わなかったのに。課長はあっさり、こうのたまった。
「・・・では、消費税の分は振り込まなくていいです」


(3)
製氷機のトラブルが一段落したと思ったら、新聞に「S」の開店案内のチラシが入っていた。8月
1日、オープン。とにかく安い。スパゲティー、ピザ、ランチ、すべて「ミラノ」の半値以下。200円で
フリードリンク。

まかないの昼飯を食べながら、鳩首会談。プー、ギー、みや。
「こんな値段でやれる、というのはすごいね・・・」ギー。
「安過ぎー。いくら薄利多売といっても、利益でるのかしら?」みや。
「それが出てるんだよ、何億も。で、全国展開して、今や1000店舗超えている」ギー。
「一難去って、また一難やなぁ」プー。

「S」のことは、安ちゃんから聞いて春から分かっていた。工事が始まると、ときどき現場を見に行
っていたので、オープンのことは知っていた。県道沿いのガソリンスタンドの跡地500坪。客席数
100。
24時間営業。年中無休。
「ミラノ」は県道から1本中に入った住宅街で「S」から500メートルほど離れているのが幸いして
いる。隣近所だったら、まず、やっていけないだろう。
「いよいよって感じやなぁ・・・」プー。
「だいじょうぶ、だいじょうぶよ。離れてるし、ギーさんの料理おいしいもん」みや。


(4)
平さんたちのライブコンサートのチラシを持って「月」へ。
一応、写真の「小さん」に礼をして、かしわ手うって、また礼。それからカウンターの上のたぬきの
置物のお腹をなでてやる。

「プーさん、あまり触らないで、さわると大きくなるから・・・」平。
「ほんま?でも他人とは思えないね。いとおしくなっちゃうんだよね・・・」
「うまく出来てるじゃない、今回のチラシ」
「3回目だからね、オッスもだいぶ慣れてきた」
そこへ、島さんが現れて「小さん」に挨拶。
「ここにいるんじゃないかと思ったんだよ、なんとなくね、秘密の匂いがした」島。
「秘密って、ポックリさん?」プー。
「そうよ、それしかないじゃない、3人の秘密教」島。
「だったら、ママも呼ばなくっちゃ・・・。この前きたとき、お稲荷さんを食べながら入れたんだから、
本人には内緒で」平。
「ママねぇ・・・。今日はちょっとかんべんしてよ。ママ、重いんだよ。それに「ひばり」だろう・・・。
またにしよう、お稲荷さん用意して」プー。

「こ・ん・ば・ん・は・・・」
驚いたことに敦子さんが入って来た。
「いた居た、3悪党。ウフフ、なんとかトリオ?こんな所で何をたくらんでるの?」
「ごきげんですね、敦子さま。今日は一段とお美しくて・・・」島。
「ミラノでね、ちょっと頂いてきたの。マティーニ・・・ギーさんが作ってくれて」
「おいおい、だいじょうぶかよ?あいつカクテルなんぞ作れねーよ」島。
「おいしかったわよ・・・。ギーさんにも頼んでおいたけど、20人ぐらいの席を作ってほしいの。
山ちゃんの新盆で、みんな集まるから「ミラノ」で食事会にしたいの」
「ありがとうございます」プー。
「プーさん、そのたぬきは、お友達?」
「いえいえ、とんでもない。聖なる生き物でござんす」
「ウフフ、聖なる生き物?」
「なんですか、そのウフフは。いやらしい笑いでござんすね」島。
「あら、そうかしら、ウフフ・・・」
「おいおい、ちょっと、この人、酔ってるよ」島。

「この3人で面白いこと、始めましてね。「小さん」の落語を聴いて、笑って、たぬきのお腹を撫
ぜて、お酒をいただく・・・」。
「笑うかどには福来る、って言うじゃない・・・。招き猫の代わりにたぬきを置いて、千客万来、
商売繁盛ってわけよ・・・」島。
「それが、面白いの?」敦子。
「それは、表向きの看板で。実は・・・。言っていいのかな・・・」平。
「なによ、話を途中で止めちゃって・・・。気になるじゃない?」
「面白いと云うか、まぁ、ちょっと風変わりなんで。誤解されると・・・」平。
「誤解、しないしない。なんなの、その風変わりさんって」
「ポックリさんをはじめたんです」プー。
「ポックリ?さん?」
「新興宗教を創ったんです。3人で」島。
「あの、それは冗談、あくまでもジョーダンですからね。誤解のないように・・・」平。
「この歳だからね、ボケとか寝たきりとか、日に日に身にせまってくるわけよ。それが不気味とい
うか、オッカナイ。山ちゃんみたいにね、入院してから3ヶ月で逝ければね・・・。まぁ、山ちゃんを
お手本にして・・・」島。
「まぁ、遊びなんです。酒の肴みたいなもので・・・。ボケたり、寝たきりになる前にポックリ逝きま
しょうってこと」プー。
「私もポックリ逝きたいけど、浄土真宗なのよ、うちは。山ちゃんはクリスチャンになっちゃったけど」
「敦子さん、気にしなくていいの、そんなこと」平。
「ふーん、で何するの?お布施なんかあるの?」
「ないない、何も無い」プー。
「まぁ、ていのいい呑み会だね」島。
「飲まして、寄付してくれとか、しつこく迫るんじゃないの。断ると、たたりがあるとか何とか言っち
ゃって・・・」
「いやいや、そんなまじめなものじゃない。ジョーダン」平。
「ジョーダンなら付き合ってもいいわよ、たまには。呑み会だけね」

敦子さんが帰ってから、3人で島さんの息子さんの話になった。
「いくつなの?息子さん」平。
「27か28」島。
「うちの息子は40にもなって、まだ独身。たぶんあいつは結婚しない」平。
「おれの息子は35だけど、なんの連絡もないんでね・・・。分からん」プー。
「最近、結婚しないのが多いね。知り合いの子供でも親と同居して生活費を入れず、食事、
洗たく、掃除、みんな親にやってもらって、優雅に暮らしてる」島。

今どき、お見合いをすすめるお節介なオバサンもいないし、社会も昔ほど変人あつかい
しないから、ひとりもんは気楽なもんよ。男の子はともかく、女の子なら手元に置きたがる親
もいて、ちょうどその世代はバブルで儲けて、がっぽり退職金もらって、夫婦で年金もらっても
使いきれない・・・。だから、子供、孫に貢いで馴れ合ってデレデレしている」平。

「平さんも退職金、年金、もらってるんでしょ」島。
「もらってるけど、ほら、30までバンドやってたから、普通の人の半分だね」平。
「平さんの息子さんって見たことないけど、一緒に住んでないよね」プー。
「親子喧嘩しましてね、出て行けったら、出て行った。25の時。それ以来わたしとは音信不通、
女房はたまに会ってるみたい。女房の話しによるとね、あいつの部屋に女物の洋服がいろいろ
あるんだって。はじめ、彼女のものと思い込んでいたら、息子の・・・だって」

「ええぇ、ええぇ・・・どーゆうこっちゃ」プー。
「あれ、あれじゃないの・・・女装趣味」島。
「ん、まぁ、そうなんでしょうね・・・」
「ホモじゃないの?オカマかも?」島。
「どーちがうの?ホモとオカマ」プー。
「私もよく分からない、分かりたくない、だから深く詮索しない。島さんのところはいいね、まともで、
結婚できて」
「うん、でも10年近く会ってないんで・・・。結婚の話しも聞いてないのに・・・相手の親がオレに関心
があるらしく、会いたいと・・・。結婚相手の娘を見てみたかったけど、夫婦だけで来るって。
プーさんに席を作ってもらってあるんだけど・・・。気がすすまない」
「相手の親にとっちゃ、気になるよね、島さんのこと」平。


(5)
「S」が開店してみると、近所の連中もいちどは顔を出して覗いたらしく、その後「ミラノ」へやって
来て、ああだこうだと報告して帰る。それでも評判は悪くないようだ。
なにしろ安いから・・・。それに新しくてきれいで広いから「ミラノ」の客も「S」を利用するだろう。
別に強制したわけでもないが「ミラノ」の従業員もそれぞれに「S」で食事をしたようで、いろんな
意見が飛び交っている。

意外とおいしいじゃん。
安い、値段のわりにイケル。
キレイ、あたりまえオープンしたばっかりなんだから。
200円でフリードリンクがうれしい。
あんなまずい物ただでも飲めない。
女子学生やオバサンの溜まり場になるのでは・・・。
そう、駅前の「S」なんか女子高生ばっかり、うるさいったらありゃしない。
都内ではサラリーマンもけっこう入ってるよ。
夜なんか、何人かでワインのボトルを開けている。
女性のいるグループだったら居酒屋で飲むより安くて雰囲気がいいかも。

春、安ちゃんから「S」の出店を知らされていたから、いろいろ手を打ってきたが・・・。うまくいった
のは早朝7時からの営業。それから、日曜営業も軌道にのりつつある。団体予約が入らなくても、
朝11時から4時までバイキングランチをやっている。いままでの、土日祝日休みの殿様商売で
はやっていけません。

梅雨があけた頃、店の前にテーブルを2台だして、安ちゃんのところの作業員に葦のすだれを
張ってもらった。南と西の日差しの強いところにはニガウリなどで緑のカーテンを吊った。本職だ
けあって半日もかからず出来上がり、さっそく賄いの昼飯をそこで食べる。

みや、メグ、ギー、プー。
「外で食べるとおいしいね・・・」ギー。
「通行人にジロジロ見られるのさえ気にしなければ・・・風が気持ちいいわ」みや。
「私なんかぜんぜん平気、見られても」メグ。
人目を気にする客のために目隠し用の背の高い植木も配置してある。
「葦のすだれ、なんか、昔の海水浴場を思い出すなぁ・・・目の前に広い海があれば・・・。かき氷
でもやるか?風鈴つきの旗でも掲げて」プー。

目の前の道は、ちょうど図書館の裏通りになり、あまり車は走らない。もっぱら自転車と通行人。
店の前に来ると首を横に振り、チラッと一瞥して行く。何やってんだろう、これ・・・そんな好奇心
を刺激しているようだ。
天気のいい日は好んでテラス席に座るお客さんもいる。さすがに食事の客は少ないが、コーヒー
を飲みながらぼんやり道行く人を眺めたり、雑誌を読んだりしている。サングラスなぞして、葦の
日かげでそよぐ風を感じるのもわるくない。
夜は若者が占拠して、楽しく飲んで騒いでいる。知り合いが店の前を通るたびに、ちょくちょく呼び
込んでビールをふるまったりしている。
みやちゃんの意見を取り入れて、テラス席はセルフで2割引きにしている。それと開放的な野外
が若者にうけているようだ。なのでテーブルをもう1台置くことになっている。

ところが、町内会の会長さんが苦情を言いにみえる。夜、テラス席で騒いでる若者たちの声がう
るさい。通行人の若い女性に声をかけるのは、やめていただきたい。この辺が明るくなり、にぎ
やかになるのはけっこうなんですが、近所迷惑だけはかけないで・・・。
町内の誰かが会長に訴えたようだ。
この辺は古い町で、新参者のプーには商売がやりにくい所だ。地元住民と争うのは得策ではない。
こちらの客のマナーが悪いのだから、謝るほかなく会長さんに改善を約束する。テラス席は、まだ
保健所にも消防署にも届けていない。義務があるのかどうかは別にして、そのこともぷーの気持
ちを弱くしていた。役人は苦手なのだ。

安ちゃんが、廃業した店舗のテーブルと椅子を手配してくれる。「ミラノ」のテラスに1台、プーのリ
ビングに2台。あと冷蔵庫と冷凍庫もプーの台所に運んでくれる。ギーさんによると、それらはプー
のものではなく「ミラノ」の食材の貯蔵庫。

「どうせ、プーさん缶ビールぐらいしか入れないでしょう」ギー。
「これからは、リビングで会議、できるわね。少ないとはいえ、お客さんのいる「ミラノ」で会議を
すのは・・・まずいよね。かといって、他所でやればお金はかかるし」みや。

引越しはしたものの、いまだに自分の部屋のような気がしない。仕事を終えて帰ってきても、まだ
店にいるような感じ。安ちゃんが運こんだテーブル、椅子、冷蔵庫、冷凍庫などのせいだと思う。
寝室に入ってはじめて自分の空間を感じる。

たしかにリビングにテーブル2台、椅子8脚入れると会議室らしい雰囲気もするが、そこでひとり
で食事をすると、わびしさがつのる。月に1回やるかやらないか分らないらない会議のためにテ
ーブル2台、椅子8脚も詰め込んで・・・。

10畳ぐらいの寝室の真ん中に、大家の娘さん夫婦が置いていったダブルベッドがドーンと置い
てある。あとは、プーが持ち込んだパソコンと机があるだけ。備え付けの収納庫とクローゼットが
あるので部屋はすっきりしている。部屋は気に入っているんだけど・・・夫婦が置いて行ったダブ
ルベッドがどうも・・・。まぁ、ベッドから転げ落ちる心配はないけど・・・。

大きなベッドで横になってカザルスを聴く。こうしてぼんやりして好きな音楽を聴くのが至福。
休みの日は2時間でも3時間でも、もの思いや思い出に耽って、そのままうたた寝してしまう。
でも、目覚めるといくぶん気持ちが新鮮になっている。

そうだ、山ちゃんの墓参りに行こう。
先祖の墓と教会の山ちゃんだけの墓、さて・・・どちらにするか、山ちゃんのお墓はふたつある。

そういえば、プーには墓がない。次男坊だから、この辺につくるしかないが、つくる気も金もない。
共同墓地や無名墓地でいいと思っている。何千、何万の人々と一緒に小高い丘にでも葬ってほ
しい。個人名や家名や戒名などは要らない。

やはり前もって、平さんや島さん、ポックリさん仲間にお願いしておこう。そのためのポックリ教な
んだから・・・。とりとめもなく自分の葬儀の場面を想い描いている。
といっても祭壇もなくお坊さんもいない。儀式はなにもなく、火葬場で骨だけになったプーを囲ん
で皆が見下ろしている。後は仲間だけで「ミラノ」で呑んでもらって、それでお終い。


(6)
ママが行方不明になったのは、島さんと「月」で飲んでいるところへ酔った敦子さんが入ってきた
夜だった。酔った勢いで敦子さんもポックリさんに入ることになって、ご機嫌で帰ったところへ、み
やちゃんから連絡があった。

「ママ、どこにもいないんだけど・・・」

みやちゃんは、「ミラノ」の仕事を終えて家路につく途中、毎日ママの部屋をのぞく。このところマ
マのボケぶりが進行している、と管理人さんから知らされていたから。ドアーの開け方、鍵の使
い方が分からず、自分の部屋の前で立ちつくしていた、とか。
食べきれないのに、肉屋でサーロインステーキを1万円分も買ってきて・・・管理人さんが返品に
行ったら、ひどく叱られた、とか。

管理人さん夫婦は、なるだけ夕食はママと一緒にとるようにしている。そんなときは、よく喋って
とてもボケてるようには見えない。でもときどきストンと抜けているときがあって、まだらボケとい
うのかしら・・・。夕飯をさそいにママの部屋をのぞいたら、居ないのよ。
出かけるときはいつも管理人室に寄って、買い物とか、行き先を告げて出るんだけど・・・。8時
になってもママが帰ってこないので、管理人さんが警察に通報した。

みやちゃんが駆けつけたころ、警察官を囲んでママの知り合いや同じマンションの住民が集まっ
て情報交換をしていた。いちばん詳しい管理人の奥さんがママの特徴、服装、人相、ボケぶりを
話していた。
それから、管理人の奥さんはママの行きそうなスーパーや商店街の店を教えた。ママが立ち寄り
そうな飲食店や美容院をあげる人もいた。で、みやちゃんは、元ママの店「銀」や「ミラノ」、急な
階段の2階にまでは上がれないと思うけど「月」の名をだした。

そのうちパトカーが来て3人の警官が降りてきたかとおもうと、市の福祉関係の車も来て、みん
なで情報を集め整理して、上役の警官が捜索の手順と役割分担を説明した。みやちゃんは「銀」
と「ミラノ」と「月」を調べて、教えられた携帯に連絡することだった。

敦子さんがポックリさんの仲間に入ってくれたので、ママも喜ぶだろう・・・そんな噂話をしている
ところへ、みやちゃんからの捜索願いの電話だった。しばらくしてから、ママの情報を求める警
察の街宣車が走り回っていた。

「月」では増田さんのギターがながれていた。ニニが歌っていた。
ロバータフラッグの「キリングミーソフトリー」。

プー、平さん、島さん、3人とも店を飛び出してママを探そうとはしない。
「なぜかボケるとよく歩くんだよね・・・」島。
「どこへ行っちゃったのかな・・・」プー。
「もうこの辺にはいないでしょう」平。

「いっそのこと、車にひかれて死んだほうがいいかも」島。
「えっ、それはないでしょ」平。
「だって俺たち、ポックリ教の信者なんだから・・・。ボケて10年も20年も生きながらえるのは避け
なくては」島。
「島さん、ママをひいた運転手はどうなるのよ」平。
「かわいそうだよ、運転手」プー。

「そうだな・・・それはまずいな・・・酒のうえとはいえ、口がすべってしまった。暗闇のなか、足をす
べらして川に落ちるとか・・・。そう、事故がいいよ、事故。誰にも迷惑がかからないから」
「俺たち、変な話し、してない?」プー。


(7)
ママが見つかったのは明け方だった。和光市。川越街道を池袋の方へ上って行ったようだ。川
越から何キロぐらいあるのだろう、20キロぐらい歩いたのだろうか。夕方から早朝まで歩いて、
コンビニで保護されたときは手足にこすり傷をおっていたから、どこかにぶつかったり、転んだり
したのだろう。

真夜中、とぼとぼと川越街道を歩きつづけるママの姿が目に浮かぶ。


ウトウトしながらもの思いに耽っていた。
山ちゃんの墓参りに行くこと。
自分の墓のこと。
自分の葬式のこと。
そのことに関して遺書を書いて置くこと。
それからママのこと。
音楽がとぎれたのに気づいて、ロバータフラッグのCDに入れ替えた。

山ちゃんのお墓が難なく分かったのは、安ちゃんの後姿が目にはいったから。近くを通ると寄る
ことにしてるんだ、気が向いたらね・・・だから手ぶら。
プーの手の花と線香を見て、ありがとう・・・と言って水を汲みに行った。ふたりで手分けして、花を
さし線香に火をつけ、手を合わせた。

「ここで、5分ぐらい山ちゃんと昔話をして帰るだけなんだけど・・・」安。
「近所にお墓があると、気が向いたとき、足が向いたときにちょっと寄れるのがいいな」プー。

おれも行くよ・・・安ちゃんの車でママのところへ。(安ちゃん自分の仕事してるのかしらん、社長)
郊外の荒川べりの施設には10分で着いた。が、それからママに面会するのに手間がかかった。
身内でないと会わせない、と言う。
個人情報がどうのこうの・・・。
安ちゃんの方が信用されるので、こんなときは、プーは後ろで控えている。とりあえず記帳してか
ら、安ちゃんが名刺をさしだす。
プーは名詞を持ってない。

受付でぐだぐだ言っていた女性が奥へ引っ込むと、上司らしき中年男性が出てきて、受付横のパ
イプ椅子に手のひらを向けて・・・
「まぁ、どうぞ」
安ちゃんが簡単にママとの関係を説明している間、その上司は安ちゃんの名刺を眺め、裏返して
肩書きのひとつひとつを確認し、人物を思いはかっているようだ。

「原則として身内の方でないと面会できないのですが・・・
その身内の方がまだ見つからないのです」
「池袋に息子さんがいるはずですが・・・」安。
「3日経っても携帯がつながらないのです」
「千葉にママのお姉さんがいるはずですが・・・」安。
「そうですか・・・調べてみます」

やっとのことで会えたママは元気そうで、安ちゃんとぷーを認めて笑って挨拶した。いつもと変わ
らない感じがしたけど・・・。でも、なんか、よそよそしい感じもしないでもない。
真夜中、川越から和光市まで歩いたのは忘れていたが、息子と姉のことは覚えていたので、係
りの人に詳しく話すように安ちゃんが説明していた。その間、ママは何度もうなずいていたが、分
かっているのか、いないのか、虚ろな表情をしていた。

その帰り、車を運転しながら、安ちゃんが竹本さんの所へ行った話しをした。

「もう、まったく俺のこと、分からないんだよ・・・。話しかけても、なんの反応もない。目の瞳孔も
動かない。身体も3分の1ぐらいに縮んじゃって・・・植物人間というかモルモットというか・・・。娘
も顔を出していないようだ・・・」


(7)
ママに面会してから、帰りがけ安ちゃんに「ミラノ」まで乗せてもらう。2時で娘のメグはあがり、み
やちゃんと、ギーさんでランチの後片付けをしていた。
「お昼、まだなの?」
「残り物でよければ一緒に食べれば・・・」みや。
「ちょっと待ってて、今、そばゆでるから」ギー。
「てんぷら、残ってるのよ」

「ママの所へ行ってきたよ」プー。
「あら、そう、で、どうだった?」みや。
「元気そうなんだけど、なんか変だね」
「ボケてるの?」
「うん、かなり」

わたし、明日、行ってみる、休みだから。
「なかなか面会させてくれないんだよ、親族でないと・・・。安ちゃんと一緒だったから会えたけど
・・・。みやちゃんひとりだと無理かも」
「なんで・・・ママの店で10年近く働いていたのよ、だからママのことはいちばんよく知っているつ
もり・・・」
「できたら、あの人と一緒に行くといいよ、マンションの管理人の奥さん。あの人が窓口になって
いるようだから」
「そう、じゃあ、奥さんに頼んでみる。このところママの部屋をのぞくとき毎日のように顔を会わせ
ているから・・・親しくしてるのよ」

「今日のメグはがんばってたな。和食と洋食をだしてドリンクだすと、俺とみやちゃんの2人がかり
になってしまう。ホールまで手がまわらない。3人じゃ、きついね、今日みたいに混めばね」ギー。
「メグ、最近やる気になってるみたい」みや。
「なんで?」
「わかんない」
「カレシでもできたかな?」
「さぁ・・・どうだか。ギーさん、すぐ話をそっちにもっていくんだから」
「カレシいるんだよね、メグ」プー。
「高1のとききから付き合ってるのがひとりいる」
「なにぃー、ひとりいる?ひとりで十分じゃん。まさか、二股かけてんじゃ・・・」ギー。
「難しい年頃だからね、相談にはのるけど、あまり突っ込まないようにしてるの」
「最近は男より女が二股かけるんだって、知り合いの占い師のおばさんが言ってたよ。男の客
は少ないけど、だいたい仕事の悩みだって。ところが中年女性の悩みは離婚した方がいいかど
うか。そのてん若い女性は、付き合ってる2人の男のどちらがいいか?てぇのが多いんだって」

そこへ北岡さんが・・・。
「なに食べてるの・・・?おいしそうじゃない」
「ふふ、たいした物じゃないの。ランチの残り物、の寄せ集め」みや。
「でも、ここのランチおいしいから・・・」私にもコーヒーください。
北岡さんは息子が入ってるジュニアサッカーチームの幹事をやっていて、月1回「ミラノ」でランチ
をしながら会合をしてくれる。それがきっかけでウラさんの草野球チームも打ち上げをやるように
なり「ミラノ」の日曜営業が始まった。モーニングはなく11時から4時までのバイキングランチだけ
。結婚式の2次会、会社の歓迎送別会などの予約があれば夜もやっている。北岡さんのおかげ
で売り上げアップにつながったのに・・・。

「ゴメン、来月のジュニアーの会合、新しくできた「S」でやることになったのよ」
「なんで?」みや。
「あそこだと何か食べてフリードリンクで500円で済むのよ。ここだと1500円でしょう。差額の
1000円を惜しむ人が2、3人いて・・・それが強行なのよ。「ミラノ」だと出席しないと言い出すし
まつで。で、とりあえず9月はかんべんして、ね、日曜日のライブコンサートには友達をさそって4
人で来るから。
あっ、そうそう、プーさん、いい話があるのよ。アップライトのピアノをくれるって、コンサートに来
る友達のひとりなんだけど。生徒のとは違って物はいいわよ」

「S」ができてから半月。「ミラノ」の売り上げには目立った変化はないが、じわじわと影響がでそう
。それがボディーブローのように効いてくるんだな。1、2年は持ちこたえても、個人店は体力がな
いから3年もすればダウンするだろう。
ここ10年ぐらいの街の変化を見ていると、チェーンの大型レストランやカフェができると、いつの
間にか個人の飲食店は消えて美容院やチェーンの居酒屋やラーメン屋さんになっている。商店
街の飲食店はつぶれても新規の店ができないでシャッターが下りたまま。


(8)
暇なティータイムをヒロさんとジュンに任せて、プーの部屋で初めての会議。プー、ギー、みや、
ナオ、オッス。みやちゃんの娘2人は欠席。島さんが顔をだして、安ちゃんが遅れてくることに。
事務所兼倉庫からテーブルと椅子を運び込み、全員すわるとそれらしくなる。

「あれからもう1度行ったけど、新しくてきれいで安いから、客は入ると思うけど・・・3回目は、しば
らくはいいわ。あの味は飽きると思う。つづけて食べる気になれない」みや。
「わたしはめったに入らないけど、友人が4、5人集まって安くすませたいときは利用する。なんと
なくみんなの意見でそっちに流れることがある」オッス。
「行ったことあるけど、好きじゃない。うるさくって。そばに女子高生やオバサンの集団がきたら
最悪」ナオ。
「あそこ、道路から中がまるみえじゃない?ちょこちょこ覗きに行くんだよ。けっこう入ってるんだ
なー」プー。
「確かに入ってるな。朝、昼、晩、3回も行っちゃったよ。もちろん別々の日だよ。深夜は知らない
けど・・・。ただ、ひとりじゃ居づらいね、だから食べ終えたらすぐ出ちゃう」島。
「よく3回もつづけて食べれたわね」みや。
「うん、まぁ、リサーチだから・・・でもちょっと胸焼けした」島。
「俺も行ったけど、とにかく安いね。あの値段じゃ、なにを出されても文句はつけられない」ギー。

「S」のそばの飲食店は真っ青だね。
お手上げだよ。
「ミラノ」はちょっと離れてて、よかったね。
まぁ、そのうち影響、でてくると思うよ。

みやちゃんが7月の収支を発表するころ安ちゃんが入って来た。

梅雨があける中旬まではいまいちだったけど、その後、夏日になってからは売り上げが急にの
びている。テーブル2台だしたテラスの売り上げが貢献している。で、収支はトントンなんだけど
借入金の返済分だけ赤字。山ちゃんと敦子さん夫婦がやっていた時に比べれば倍以上売って
いるはず。詳しいことは分からないけど・・・。
それでも利益がでない、ということは、飲食店経営は労多くして益少ない商売なのかも・・・。

「製氷機の支払い分はまるまる赤字だからね」みや。

「お盆はどうだったの?」安。
「ヒロさんは夏休みをとって夫婦で旅行。ナオはお父さんの法事もあって1週間、帰省。私の娘2
人とギーさんとプーさんの5人でやったけど、暇だったから間にあった。朝の開店時間を3時間
遅らせて10時にしたから、楽勝。まぁ、ゴールデンウィークのときと同じパターンで同じシフト」
「お盆の売り上げはいつもの半分ぐらいなの?」安。
「もうちょっと、あった」みや。
「山ちゃんたち、いままで盆休み、1週間もとってたからしょうがない。それに、この辺の店、みん
な閉まってるんだもん。さみしいよ」プー。
「うちの会社(建設)の社員が盆休みに家族で「S」にランチに行ったら、混んでて10分待たされ
たって・・・」安。
「あそこなら、子供づれの家族4、5人で行ってもたいしてからないから・・・
ちょうどいいんじゃない」ギー。
「ミラノは家族向きじゃないもんね・・・。ところで、安ちゃんとこの会社、ボーナス出たの?」みや。
「少しだけね」安。
「ミラノは出ないの?」みや。
「出してもいいけど、出したら年末には店つぶれるよ」プー。
「嫌ぁーねぇー、冗談よ」

「今度の日曜日、平さんたちのライブコンサートが入ってるから、お盆のへこんだ分、取り返せる
よ。あっ、そうそう、北岡さんの友達がピアノをくれることになってね、平さんとピアノの音を調べ
に行ってきたんだ。平さんからOKがでてね、運送屋にたのんだら5万だって」プー。
「5万?近いんでしょ、だったら自分たちで運んだら・・・
安ちゃんのところでワンボックス借りて」みや。
「グランドだと10万だって。素人が運ぶと音がおかしくなって調律では元にもどらないこともある
んだって。だからピアノを運ぶ専門のトラックは振動を吸収する特別あつらえ。クレーンもついて
いる」
「もぅ、お金のかかる事ばかりしてくれるはね」みや。
「ピアノがあれば、なんとなくかっこいいじゃない、インテリアとしても」ギー。
「その分、客席が減るけどね」みや。

会議はなんとなく雑談になり、話がママのことに。
「ママのところに行ってきたけど・・・私のこと、分かってるようなわかってないような、たよりない感
じ。あれじゃ、もう、ひとりでは生活できないわね。ママのお姉さんの娘が面会に来たそうよ。
ママにはその姪っ子が誰か分からなかったみたい。姪っ子の母、ママの姉も認知症ですでに施
設に入ってるんだって。だから、遺伝的なものかもしれないわね」みや。
「息子はどうしたの?」安。
「携帯はつながらない、居場所はわからない。福祉課の人も困ってたわ」みや。
「たしか、池袋で借金の取立てやってたはず」プー。
「まず、息子を探し出すことだね・・・」
安ちゃんはそう言い置いて本業に戻っていった。ギーもナオを連れて「ミラノ」の夜の支度に出て
行った。


(9)
残された3人、プー、島、みや。
「ママの財産、マンションとか、貯金とか、息子でないと触れないんだって。だから、福祉課の人、
警察に相談に行ったみたい」
いつもなら夕飯の支度に帰るはずのみやちゃんが、いつになく尻が座ってる。メグは夜学だから
いつも遅いけど、今日は和も遅いので・・・。
「プーさん、ビールないの?出してよ」島。
「あいにく、つまみがないんだよね」
「ミラノに電話してナオに出前させればいいじゃない。俺が払うから」
「じゃ、私が行って、適当にみつくろってくる」みや。

「先週、下の大家さんの娘夫婦が帰ってきて、この部屋、のぞいて行ったよ。まぁ、きれいに使っ
てくれてるわね・・・このカーテンいいわねぇ・・・だって」プー。
「カーテンはいいんだけどね・・・あっ、そうそう息子の結婚祝いしようと思ってたんだけど・・・。
先日「ミラノ」で向こうの親と会ったじゃない、そこでいろいろ話してると、俺のことはぜんぜん話
題にのぼってないんだって。内緒で来たらしい」

「ハイッ、お待たせ」

ペペロンチーノの大盛り、スモークサーモンサラダの大盛り、生ハム、さんまのお刺身。「生ハム
にはメロンが付き物なのに、なんでパイナップルなの?」島。
「メロンがなかっただけ。みんな残り物だから・・・お金を取れるのはお刺身だけだって。
とりあえず、乾杯」

「それは・・・島さんのこと隠してるんじゃないの?」みや。
「隠してる、という訳でもないんだよね・・・。一成が結婚相手の娘に俺のことを話し、娘が自分の
両親に話すのは分かってるから。ただ俺の元妻は再婚してるから、その手前もあって触れたくな
いんじゃないかな」島。
「このさんま、イケルね、まだお盆が過ぎたばかりなのに」プー。
「島さんの元妻、日本人じゃないのよね」みや。
「中国人」
「なんでそんな人と結婚したのよ・・・」みや。
「みやちゃん、なんでもづけづけ聞くね・・・。まぁ、交通事故みたいなものよ。お互いの不注意が
重なったとき、ドーンとぶつかる。そんなもんよ」
生ハムの友は、やっぱりメロンだね。パイナップルの甘さはしつこい」プー。
「私の結婚も交通事故だったかも・・・。不注意だったのは、私だけ。ひと目惚れだから」
「そんなにいい男なの?」島。
「まぁね、姿見だけはね」
「色男、金と力は・・・」プー。
「それだけじゃないのよ、それだけなら我慢もできるけど・・・」
「飲む、打つ、買う」プー。
「私より弱かったから飲むのはたいしたことなかったけど、給料袋持って、そのまま雀荘に行くよ
うな人なの。小さな子供ふたり抱えて身動きとれないのに給料入れないんだから・・・最低」
「俺も小さな子供(こんど結婚する)ひとりおいて出て行ったからなぁ」島。
「養育費、払ったの?」
「ミルク代だけ、5年間、振り込んだ」
「5年じゃ、短いわね。あと15年振りこまなきゃ」
「再婚したのを知ったからストップしたわけ。元妻が再婚したら、俺に養育責任はなくなるからね。
離婚して1年後に再婚してたから、その1年間だけ振り込めばよかったんだけどね。5年間、気
づかなかった、馬鹿だね」

「島さんに会いに来た夫婦、感じ悪くなかったけど・・・」プー。
「まぁね、悪くないけど・・・公務員。俺、公務員、嫌いなんだ。あの両親を見れば察しはつくよね。
まぁ、普通の娘さんでしょう。器量は悪くないはず」
「見てみたかったわね、お嫁さんになる人。島さんの息子さんも」みや。
「俺がタクシーの運ちゃんやってるのを知ってたから、いろいろ調べたみたいだね。俺のこと、調
べたって何も出てこないって。で、元妻の情報を小出しにしながら、俺と結婚した頃のことを知り
たがってるんだ。もっぱら話題は元妻に終始してね」
「そりゃー、娘の姑だからね・・・。同居するの?」みや。
「分からない、聞きそびれた」

「・・・あれは交通事故のようなものだけど、今から思えば、仕組まれた事故だね。たとえはよくな
いけど・・・ようするに、あちらさんは戦略的に結婚したの。俺は不注意でしたの」
「なに?戦略的結婚って」みや。
「ちょっと変な表現だったな・・・。交通事故といい、戦略的結婚といい。どうもうまく説明できない
んだけど・・・。むかし、政略結婚ってあったじゃない?今でも政治家や財閥や皇族などは、むか
しほど露骨でないにしても愛情とは別の目的をもって結婚してるよね。でもふつう俺たち庶民は
そんなこと考えないよ。好きで一緒になるんじゃないの?」
「島さん、意外と純情ね。私の頃は、3高(背が高く、高収入、高学歴)とか、家付き、
カー付き、ババー抜きとか、結婚条件があったのよ。好き、だけで結婚するのはおバカさんよ」
「その結婚条件は分かるよ、できればそうあってほしい、という望みだからね。でも、望みがかな
わいとなれば、条件をゆるめるか、とっぱらわないと行かず後家になっちゃう。現実的には戦術
変更ってわけ。戦略ではなくね」
「みやちゃん、ひと目惚れで、好きだけで結婚したんじゃないの?」プー。
「そうよ、そうなのよ、おバカさんなのよ」
「結局バカをみるのは、俺もそうだけど、戦略を持てないやつなんだ」
「なによ、戦略戦略って。なにが言いたいのよ?」みや。
「戦争なの?」プー。

3人ともだいぶ酔いがまわってきたようだ。

その時は見えなくても、時が30年も過ぎると、自ずと見えてくる物がある。とにかく、日本人と結
婚したかったんだと思う。留学生のビザで来日して、せっせとアルバイトにはげみカネをかせい
でいたから、ビザの期限切れが悩みの種だった。日本人と結婚してしまえば、その悩みはなくな
り、こどもができれば日本国籍も取れる。
もちろん、日本人なら誰でもいいわけじゃない。好みもあるし条件もあるだろう。ひとに紹介され
俺に会ったときカモに見えたかも。地方出身、親族は姉ひとりだけで、東京にはうるさい係累は
いない。いれば結婚に反対する両親はすでに亡くなっているし、なにかと干渉する親戚縁者もい
ない。あつかいやすい、うってつけの男に見えたのだろう。
その後の行動が素早かった、1年たらずで結婚してしまったのだから・・・。本人が言うのもなん
だけど、なにがなんだか分からない。今から思えば、彼女の家族や友人によって、みこしに担ぎ
あげられ、引っぱり回され、あれよあれよという間に結婚披露宴のひなだんの上にいた。

それでも一緒に暮らせばなんとかなるだろうと、のんきに考えていた。
ほれたはれたの気はなく、強いてあげれば同情心にちかいものを感じていた。

「島さん、別れた相手の悪口いって、自分を弁護しているように聞こえるんだけど」みや。
「悪口じゃないんだ。別の目的を持って俺と結婚したことに気づいたんだ、何年もたってからね。
不注意というより馬鹿だったんだよ」
「そういうことじゃない、と思うの。何かがたりなかったのよ、島さんも私も」

「なんや、そろいもそろって、俺たち3人ともバツイチやん」プー。



                       嘘日記その4 「結婚」 終わり。
                           (これはフィクションです) 
                    

                       









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