嘘日記 その9 「ギーさんの場合」



  (1)
ギーが死んだのは11月12日だった。

その日は、プーの65回目の誕生日。といっても、知っているのは本人いがい誰もいない。これからは、プーの誕生日が、ギーの命日ということになる。ギーの命日を忘れられなくなった。

2日前の11月10日に左目の白内障の手術をしていた。

隣町の坂戸にいい眼科がある、と紹介されていて、夏から通っていた。何年もまえに老眼になったときは、あわてて困惑してしまったが・・・それから老眼が進行するごとにレンズを取り替えて老眼なんてこんなものだと、がてんがいったころ、目の前に霞がかかった。メガネ屋さんで取っかえ引っかえ、いろんなレンズを試してみたが、どれも今ひとつしっくりこない。
「いちど、眼科で診てもらったほうが、いいですね」
親切なメガネ屋さんのお兄さんが、そう言ってくれた。

プーがはじめてメガネを作ったのは40歳になるまえだった。新聞の字が読みづらい、とこぼしたのを妻が気にとめていたらしく、ひと月もしてからデパートのチラシを突き出した。池袋のデパートに行く用事があったのかもしれない。妻に引っぱられるようにしてデパートのテナントでメガネを作った。値段は忘れたが何万円かしてチラシよりずいぶん高かったような印象が残っている。

みやちゃんに口説かれて、ゴールデンウィークにしっかり働き、世間様が仕事モードに入ったころ、みんなで草津温泉に行った。連休明けで宿代が安くなっていたうえに送迎バスまで出してくれた。1泊して帰った翌日、ギーさんの見舞いに行った。
やつれたような気もするが、もともとギーさんは痩せていたから、それほど変わった感じもしない。すい臓がん、と聞いていたわりには元気そうに見える。容体が安定してきたので5日後に手術をするそうだ。おいとまする時に握手をしたが、手にも目にも力がなかった。


(2)
どうでもいいことだけど、はじめてメガネを作ったのは池袋のデパートではなく駅前のメガネチェーン店だった。35歳になって自動車免許を取得したときに「眼鏡使用」だと言われた。のぞく顕微鏡のような視力検査機の画面が暗くて見にくかった。両目で1.5以下という結果だったが、メガネ屋で調べると2.0もあった。
自動車学校の視力検査機は、わざと見づらくしてあったような気がしないでもない。
メガネをかけないで運転すると違反になるので、やむを得ず、そこでメガネを作ったが車を運転するときいがいはかけなかった。

とすると、池袋のデパートの中にあるメガネ屋さんで作ったというのは記憶ちがいかもしれない。このように、思い出すことも自信をもって断定することができない。まぁ、べつに断定を要することなど、たいしてないのだけれど・・・。
はじめてメガネを作ったのが運転用のもので、その数年後、老眼鏡を作ったようだ。


前々から視界が暗く活字が読みづらくなっていて、すぐ目が疲れて、やすみやすみ読んでいた。これでは新聞は何とか読めても1冊の本は読めない。で、思いきって教えてもらった坂戸の眼科へ行ったら、患者の多さに驚いた。受付の前のフロアー全体が待合室の様子で、30人ぐらいのお年寄りがうずくまるように静かに腰掛けている。たまに、親子らしいお婆ちゃんと中年のおばさんがポツリポツリと喋るぐらいで、重苦しい雰囲気。
11時前に行ったら、ちょうど、プーで受付は締め切られた。診てもらえるのは1時ごろだと言う。2時間もここで待っているのは難だから
「食事、してきてもいいですか?30分前には戻りますから・・・」
とたずねると、ダメだと言う・・・。
仕方なく、トイレに行くふりをして、こっそり待合室を抜け出した。

診察は9時からだが、受付は8時から。でも、扉は開けてあるので7時から来て順番待ちをしている人が何人もいるらしい。老人は早朝には強い。
眼科って、こんなに患者が多いのだろうか。街を歩いていても歯科の看板はやたら目につくが、眼科は目に止まらない。でも考えたら、歳をとれば誰しも歯がなくなるように目も悪くなる。

診察の結果、右目は老眼ではあるが正常で視力1.0。左目は老眼、近眼、乱視で視力0.5で白内障が出ている。

眼科の先生が大きな虫メガネのようなレンズでプーの左目を執拗に診たとき、子供のころを思い出し、ちょっとおっかない気がした。
子供たちの遊びだったと思う。虫メガネに太陽光線を集めて紙に当てると焦げたり、とくに黒い部分は発火したりした。プーは仲間と生きたままのアリを捕まえ押さえつけ、虫メガネの太陽光線を浴びせた。
先生に大きなレンズで覗かれて、ぷーは自分の目の中に身悶えるアリの姿態が写しだされているような気がした。それから、自分の眼球が居酒屋の串に刺された焼き鳥のように煙を吐いて焦げているような映像まで浮かんだ。


(3)
ギーさんの手術はうまくいった、と聞かされていたので術後1週間してから島さんと見舞いに行った。横に奥さんが居たこともあって、たいして話すこともできなかったが、ギーさんはときおり笑みを浮かべたりして、手術まえより穏やかな表情に見えた。「ミラノ」の近況報告をしておいたがBarの話はさけた。
「あと10日で退院できそうです」
帰りぎわ、奥さんがホッとしたようすで言った。
病院を出ても2人は何も話すことがなかった。胸の内にはいろんな想いがあったが、黙って歩いた。そば屋さんの前で島さんが
「ちょっと寄っていこう・・・」
とのれんをくぐったので、あとに続いた。
「お酒にするか・・・」
島さんはひとり言のように呟いてから
「お銚子2本、カンして・・・ぬるめでいいよ」
お猪口を下げてもらって、ぐい呑みを出してもらった。お酒を呑んでも話ははずまなかった。
「すい臓がんは難しいんだよね」
島さんは、ポツリともらして押し黙ってしまった。


散髪屋さんにあるような椅子をひとまわり大きく立派にしたものにすわらされ、横たわり倒されると、両方の耳元に若い学生のような助手の男性が2人すわり、頭のところに先生がいた。目の横から裏側の方に麻酔の注射をすると、先生が助手に指示する声は聞こえるが、いっさいの痛みを感じない。だから、何をされているのかも、分からない。まさか、眠ってしまったわけではないだろうが、先生の声も聞こえなくなった。

まぶたが1枚の窓ガラスだとすると、そこにシャワーをかけたように水滴が音もなく落ちつづけている。そのうち・・・いつの間にかシャワーもとまり水滴がスルスルと伝い降りている。その水滴のあしあとがオレンジ色に明るくなってきた。まだ、手術が始まらないのかな、遅いなと思ったら
「はい、終わりました」と先生の声。

歯の治療より何倍も痛いだろうと覚悟していただけに、あまりにも早く(10分ぐらい)静かで痛くなかったので、拍子抜けがした。こんなに簡単だったの?
左目を綿とガーゼで覆いテープで止め、眼帯をした顔は仰々しいが、視界がいつもとちがって平衡感覚がとりにくいだけで、痛みがないので気持ちは明るい。


お酒のあてにお新香をたのんだら、きゅうり、人参、白菜、ナスの盛り合わせがでてきた。
「俺の友達というほどでもないけど、職場の知りあいが、すい臓がんになってね、半年で死んだよ」島。
ぬか漬けのお新香は妙に日本酒にあうな、と、プーは思った。
「そのとき、いろんな事を知ったんだけど、すい臓がんは見つかりにくいんだって。たぶん、肝臓か何かの臓器の裏側にあるから・・・がんが見つかった時は末期らしいよ」島。
プーは、きゅうりのお新香をポリポリかみ、口の中にひろがった塩と糠ではっこうした味を酒で流しこんだ。

「その人もがんが見つかるまでは普通に仕事(タクシーの運ちゃん)をしていた。本人にも自覚症状がなく、ちょっと酒が弱くなったなぁ、酔いが早くなったなぁ、という程度だった。歳だから、まぁ、仕方ないか、と思っていたら、いきなりお腹が痛くなって病院に駆け込んだら、そのままだよ」島。

お新香のナスをかじると、皮の部分が噛み切れないで、やわらかいスポンジのような綿のところから汁が出てきて口の中にあふれた。プーは、それを飲みこみ、ナスの皮をくちゃくちゃ噛んでいた。なかなか噛み切れず、味のなくなったガムのようになっていた。吐き出すのもなんだから、お酒を口に含んでいっしょに呑み込んだ。
プーも、すい臓がんで治った人を知らない。が、あえてそのことは口にはしなかった。

「ギーさん、市役所の廊下を歩いていて、つまずいた、と言っていたじゃない。あの頃からおかしかったんだよね」島。
たしか、2月の大雪の降ったころだった。真っ平らな廊下でつまずくなんて、ギーさんも変な事を言うな、と、プーも思った。
うまくもない酒を呑みながらも、10日後には退院できるのだから・・・と言い聞かせ、席を立った。


(4)
白内障の手術をした翌日は1日ゴロゴロしていた。片目では活字を読めないので音楽を流してぼんやりしていたら、島さんと一緒にギーさんのお見舞いに行ったころのことを思い出していた。5月の末ごろだった。

ギーさんは6月には退院して、ときどき「ミラノ」に顔を見せていた(もちろん、仕事はできないが)。手術は成功で元気そうだった。本人も7月から仕事に復帰しようかな、と言っていた。が、7月にはいっても体調はもどらず、逆に弱っているように見えた。まわりの仕事仲間もみんな心配していたが、誰よりも本人が楽観的で希望をもっていた。

「ギーさん、杖をついた方がいいんじゃないかしら。トイレから出てきたとき壁づたいに歩いていたわよ」みや。「あぶないな」島。
「足に水がたまるんだって。それが痛いらしいよ」プー。
8月にはいってからの仕事復帰どころではなく、何度も病院で足にたまった水を抜いてもらっていた。水で足がパンパンに張って2倍ぐらいになっていたらしい。
しばらく、ギーさんが顔を見せないと思っていたら2度目の手術をした。


「目を開けていいですよ」
手術をしてくれた先生の声にうながされて、おそるおそる見開くと、ぼんやりしていた視界がじわじわとハッキリしてきた。物の輪郭がクッキリ見える。それに視界が明るい。まるでカメラのレンズを交換したようだ。
「晴れた日には、永遠が見える」
なぜか、突拍子もない言葉を胸の中でつぶやいていた。笑みが浮かんでいた、我知らず。


その帰り道、ギーさんの訃報のメールが届いた。

2度目の手術をしたときは見舞いには行かなかった。ギーさんの奥さんが、どうも、プー達「ミラノ」の人間を拒絶しているようだったから。見舞いに来るな、とは言わないが、暗にほのめかしていた。連絡をいれてもギーさんの容体に関しては何も知らせてくれない。それに入院中、ギーさんは携帯を取りあげられていた。

とりあえず、プーは「ミラノ」に向かった。眼科の病院から坂戸駅まで歩き電車で川越に。駅の人ごみや街並みが死んでいる。さきほど左目を覆っていたガーゼをとったとき、見えた明るい視界が遠のいていき、眼中になかった。自分とはまったく関係のない風景の中を、ギーさんが死んだ、と何度もつぶやいて歩いた。「ミラノ」で島さん、みやちゃんの顔を見て、ふと我にかえった。


(5)
「今晩の通夜は親族だけでやるって、明日の告別式は1時からだって、奥さんから電話があったの」みや。
「とにかく、ミラノの関係者とギーさんと親しかった常連さん、ポックリ仲間に連絡して・・・」島。
みやちゃん、島さん、プーで手分けして連絡すると、ほぼ20人だった。一段落しても仕事が手につかない。ポツリポツリと連絡を受けた人が集まってくる。
「プーさん・・・仕事する気になれないんだけど・・・」島。
「そうだね、無理だね、臨時休業にしよう。明日も」プー。
ちょうど客が途切れりた5時ごろだった。
(都合により、12日、13日、お休みいたします)
入口の扉に掲示して看板を消した。

「さっき、白内障の手術をした眼帯をはずしてきたよ」とは言えなかった。
「今日、誕生日なんだ」とも言えなかった。

プーは一升瓶をテーブルの真ん中に置いて、ビール用のグラスと一緒にぐい呑みも出した。真っ先に来たのは敦子さんだった。それから恵子さんがきて安ちゃんがきた。平(へー)さんも来た。
そのたびに、みやちゃんが、ギーさんの奥さんからの電話を伝えた。
「通夜は遠慮して、告別式に出席しましょう。それで・・・ギーさんの遺言状はどうなっているのかな・・・?」平。
だれも答える者はいない。なんとなく、プーに視線があつまる。

大晦日から年明けにかけて「月」にいた。4人で氷川神社に行った帰り、みやちゃんのところで呑んで寮にもどってから、プーはギーさんと2人で呑みなおした。そのとき、遺言状の話になった。喜多院のダルマ市の打ち上げの後でも言っていた。箱根駅伝を見てから、プーにならってエンディングノート(遺言状)を書いた、と。葬式は女房がするだろうが、戒名はいらない。墓もプーさんやポックリ仲間と一緒の共同墓地でいい。
ギーさんは、そんなことを言っていたが、どうなっているのか、確かめる術がない。奥さんに尋ねるのもはばかれる。

「とにかく、明日、告別式に行ってからやね・・・行けば、戒名のことは分かるし。ミラノの名前で生花を出した方がいいよね」プー。
「いいと思う」みや。
「ポックリさんの名前でも生花を・・・」島。
「それは、まずいんじゃない・・・名前が・・・友人一同で」平。
「香典はどうするの?金額を決めてもらったほうがありがたい」みや。
「みんな、1万円でいいんじゃない。アルバイトの学生は全員の連名で。うちの会社の名前でも生花、出しておきます。ギーさん側の花が少ないと寂しいから・・・」安。

みやちゃんが、厨房から今日のつき出しのカボチャ煮を、島さんがビールを運んできた。
「ダメだとは思っていたんだけどね・・・」島。
1人ひとりが、ギーさんのことを思い出しているらしく、自分の想いの中に入っていくので話がとぎれてしまう。それぞれに、ギーさんは、ああだった、こうだった、と語り、同意したり笑ったり。しみじみとした雰囲気ではあるけれど、暗くもなく落ち込む人もいない(恵子さん以外は)。突然、亡くなったのではなく、島さんが言ったように、あらかじめ予感されていたのでショッキングではない。たた、今この場でギーさんの死をすっと受け入れがたいのでお酒を呑み言葉でギーさんの死をねんごろに包んでいる。

解散になったあと、平さんの「月」へ行こうかとも思ったが、よした。そのまま裏の寮の部屋にもどった。すぐには寝つけるわけもなく、焼酎をお湯で割った。

数年まえに亡くなった山ちゃんや、竹本さんのことが思い出された。この歳になると仲間や知り合いがポツポツりと歯が抜けるように亡くなってしまう。妙なイメージだが兵糧攻めにあっているようで、死に包囲され、じわじわと死が自分ににじり寄ってきているような気がする。

それにしても、竹本さんの末期は痛々しかった。くも膜下で倒れ、リハビリに励んでいるころは回復のみこみもあったのに、いつの間にか植物人間になっていた。それからが、長かった。3年以上も狭山の病院でモルモットになっていた。

ある日、見舞いに行ったら、その竹本さんがいなくなっていた。受付でいつもどうり自分と竹本さんの名前を記入すると
「竹本さんは、もう、いらっしゃらないのです・・・」
「えっ・・・死んじゃったの?」
受付さんは返事をしなかったが、かすかにうなずいたような気がした。個人情報の問題があるのだろう、何も教えてくれなかった。

竹本さんの唯一の肉親(兄弟は九州地方在住)である娘は、父親を病院に入れたまま何もしなかったようだ。山ちゃんや安ちゃん達仲間が見舞いに行っても娘が世話をしている様子はなかった。彼女は竹本さんの友人には何も知らせなかったから、いつ死んだのか葬式はしたのか、墓はどこにあるのか、分からない。竹本さんの末路は哀れだったが、それは彼と彼の家族や肉親との関係を物語っていた。

そういう意味では、山ちゃんの死は誰から悼まれる穏やかなものだった。入院してから3ヶ月というあっけなさではあったが、本人が死を受け入れているのが分かった。もうちょっと生きたい、そんな未練はなかった。それは、彼が洗礼を受けたせいかもしれないが、死を恐れてはいなかった。むしろ、、死は救済だと言っているような気がした。

プーは、焼酎のお湯割りを呑みながらギーさんの通夜に竹本さんと山ちゃんの死を振り返っていた。


(6)
島さんの運転でみやちゃん、プー、平さんの4人で葬儀場に向かった。敦子さんは安ちゃんと。ジュンやグレ、メグに和、田舎からナオが駆けつけた。かれら以外にも「ミラノ」でギーさんと親しくしていたお客さん達。

「ミラノ」「安田建設」「友人一同」の生花が祭壇の一番下の右端にはみ出しそうに置かれていた。ギーさんの仲間は、探して自然と目がそこにいくが、たいていの人は気がつかないだろう。それほど圧倒的な数の生花に埋もれていた。プーは、しばらく並んだ生花の札の名を読んでいたが途中でやめた。ギーさんの奥さんの属する学校や教育関係のものばかりだった。

北海道からギーさんの弟家族4人だけが来ていた。両親は老齢のため来られないにしても、兄弟は弟以外にももっといたはずなんだが・・・。1番前の弟家族の後ろにぷー達がかたまって座った。

なんと、ギーさんの奥さんのオヤジが告別式を取り仕切っていた。場慣れしている。いや、上手すぎて素人には見えない。オヤジは高校の校長を退いた後、教育関係の上の方にいたらしい。冠婚葬祭担当だったのかもしれない。挨拶のシャベリはどうに入っていて、長く、まるで自分が主人公のようだ、ギーさんの葬式なのに。葬儀屋に指示するその格好は、プーには出しゃばりすぎに思えた。

参列者は200人ぐらいいただろう。でも、ギーさんと面識があるのは、ぷー達と弟家族だけ。なんとも異様な眺めだった。200の黒い服のかたまりは、くだらない義理やつまらない代理で足を運んでいるに過ぎない。だから、そこには神妙さや尊さやおごそかさや、亡くなった人に対する想いがない。工場の流れ作業のようであった。

なかでも、もっとも空虚だったのが坊主の御経。
若いお坊さんを2人従えていたから充分な実入りになったであろうに、ありがたみのわかない読経であった。短くはない戒名が目に入った。

プーと島さんだけが呼び止められて焼き場行きのマイクロバスに乗った。バスはギーさんの家と職場の「ミラノ」を見おさめて街中を通りぬけた。すでに取り壊しがきまっている焼き場は古く小さい。
焼いている間、小部屋で呑んで食べたりして待つのはどこでも同じようだ。親族や友人が焼かれている横で飲食する習慣はいつから始まったのだろう。それに、他の宗教でもそんなことをするのだろうか。プーには不思議でならない。奇妙な行いだと思う。

土葬のときは野外だし、埋めてしまえばおしまいだから飲食する時間はない。ガンジスに屍を流すにしても山頂で鳥の餌にするにしても、そのそばで飲食はしないだろう。焼く間の間をもたせるためであろうが、、お茶を飲むぐらいでいいのではないだろうか。骨を拾った後、別の場所に席を設けてゆっくり会食すればいい。(そう言えば、プーの両親が死んだときは、焼き場ではお茶と菓子しかでなかった。戻ると会食の席が設けられていた。だから、地方や宗派、施設によって違うのかもしれない)

それにしても、みんなよく呑みよく食べる。悲しみのあまり喉を通らない人はいない。ちょっとお酒が入っただけで、にぎやかに俗な話題に笑い興じている人達には、ギーさんのことは頭にない。そもそもギーさんと面識もなく知らないのだから。
ここでも奥さんのオヤジが場を仕切って、席を決めたり弁当の数や飲み物を指示していた。何様かは知らないが、言葉のはしばしにギーさんのことをかろんじているふしがある。ギーさんは、自分の娘の夫に値する人間ではなかった、そんな想いがにじみでている。たとえそうであるにせよ、義理の父にとってはギーさんはクダラナイ人間でも、今ここでそれを言っちゃいけない。
プーと島さんは苦い酒を呑んだ。

「都合により、今日はお休みします」
張り紙のある「ミラノ」の扉を開けると、みやちゃんがひとり、ポツンとしていた。
「さっきまで、みんな居たけど、ひとりふたり、パラパラと帰ったわ。ナオは新潟までの電車がなくなるし、安ちゃんは仕事。恵子さんはひと言もしゃべらなかったわ。あした仕事、大丈夫かしら、恵子さん」みや。
「呑みなおしたいけど・・・」島。
「ここに居るとお客が入ってきて、いちいち休業の説明をするのがめんどう・・・不幸があったため、で済めばいいけど、ギーさんの知り合いだとそういう訳にもいかないし、なかには何で連絡してくれないのだ、と不平を口にする人もいて、わずらわしい」みや。
「文句を言う人にかぎって、連絡しても葬儀には出席しないもんだよ」島。
「じゃぁ、平さんのところ(月)へ行こう」プー。


「ギーさん、ロリンズ、好きだったよね」
平さんがソニー・ロリンズのLPを引っ張りだしてきて、針を落とした」
「ギーさん、ノリのいい曲が好きだったよね、ちょっと古い」プー。
「じゃぁ、今日はギーさんを偲んでファンキー特集ということで・・・」平。

「それにしても、ひどい葬式だったね・・・」島。
「知らない人が見たら立派な葬儀かも・・・」みや。
「誰の葬儀かもわからない」プー。
「奥さんの・・・」みや。
「組織の形式」平。

「焼き場で誰もギーさんの話をしないんだ」島。
「俺たち以外、ギーさんを知っているのは、ギーさんの弟家族だけ。他は面識もないんだから話題にしようがない。で、学校の人事や男の先生と女生徒のセクハラなど俗なことを熱心に話しているんだよ、酒呑んで。なんで、焼き場で呑み喰いするんだろう」プー。

「ギーさんの戒名、あったね」平。
「あった・・・」みや。
「奥さん、ギーさんの遺言状を読んでないのかな?」ぷー。
「どうかな?書いてあれば、読んでいるんじゃない?」島。
「遺言状があっても、けっきょく奥さんのやりたいようにやるんじゃない?」平。


「俺の葬式はどうなるんだろう」
プーは遺言状(エンディングノート)を書いてはあるが、まだ誰にも見せていない。呑んだ席などで口走っているだけなので、ポックリ仲間には知られてはいるが効力はない。元旦の書き初めとして遺言状を書き改めるのを常としているので、正月には同じものを3通作ろう。自分の手元に1通。ポックリさん代表の平さんと娘に1通ずつ。

寝たきりになった場合、安楽死にしてほしいが、法律的に無理であれば胃瘻などの延命治療は止めて、できる限り尊厳死(尊厳死協会に入る)にしてほしい。人間でも動物でも自分で食べられなくなったら、おしまいだ。ボケも同じで、自分が自分と分からなくなったら生きている意味も価値もない。点滴や水分補給などせずに自然死にしていただきたい。昔の日本では医学が発達していなかったし貧しかったから、皆そうしていた。現代でも本人が望めば、そうしていただきたい。
植物人間になっても、心臓が止まるまでモルモットのように身体をいじくりまわして欲しい人は、最先端の科学的医療を施してもらえばよろしい。
だから、元気なうちに本人と家族で終末医療について話し合って、文章にして捺印しておく必要がある。

余計なお世話かもしれないが、いき過ぎた延命治療は国家財政を危うくすると思う。あと15年もして、団塊世代が80歳を過ぎたときの延命治療費、介護費、それらの人件費、施設建造管理維持費など・・・。

葬式はしない。戒名はなし。焼き場で直葬、子供(くれば)とポックリ仲間に立ち会ってもらえばいい。骨は共同墓地に撒く。以上、毎年遺言状を書き改めていても、たいして変わらない。財産も負債もないから簡単だ。ただ、息子と娘に対する別れの言葉が少しずつ違ってくる。1年生きているだけで心境が微妙に変化するらしい。

ロリンズの2枚のLPが終わると、平さんはコルトレーンの「マイ・フェバリットシング」をかけた。

「あした、恵子さん、大丈夫かしら・・・」
と言ってみやちゃんが立ち上がると、島さんもつづいた。
プーは居残ってスコッチのソーダ割りのお代わりをした。

声には出さなかったが
「白内障の手術をして視界が明るくなった、と思ったら・・・ギーさんの命日は俺の誕生日」


(7)
山ちゃんが亡くなったなはクリスマスで、ギーさんが死んだのはぷーの誕生日だった。それは偶然ではあるが覚えやすい。

12月23日の祭日に恒例のジャズライブをやったが、その前日の日曜日にも石岡さんたちのクラシックコンサートをやった。そちらは昼間、バイキングの後、3時から5時まで。前半は石岡さんの生徒さん5人の演奏。生徒の家族たちでいっぱいになった。後半、石岡さんもマリコさんも30分ずつ弾いた。

平さんたちの暮のライブは毎年12月23日が恒例となって、5回目。平さんのピアノトリオにマキさんのヴォーカルとリノちゃんのフルートがはいる。このコンサートも顧客のついたクリスマスライブとなっている。

恒例といえば、12月30日の増田さんのギター教室の発表会をかねたセッションも今年で3回目だ。去年はギーさんが手伝ってくれたのだが、今年はまた、ぷーひとりだ。でも、生徒さん達が何もかもやってくれるので、プーは呑みながら音楽を聴いているだけでいい。あとは電気のスイッチと火の元、戸締りぐらいだ。

みやちゃんの発案で今年から1月2日から営業。その代わり、七草の明けたころ皆んなで1泊2日の温泉旅行。3日は喜多院のダルマ市で大賑わいになるのは分かっているが、2日はどうか。気がかりだったが、みやちゃんの読み通りけっこうな売上となる。

呑みながら後片付けをしていると、電話が鳴り
「この店に山野さんっていう人、働いていたっけ」
受話器を取った島さんが声をあげて誰にともなく尋ねる。
「えっ、ぷーさん、山野っていうの?・・・電話だよ、女のひとから」島。


(8)
いまどき知り合いの連絡はスマホにメールでくるので、店の電話にかかってくるのは、お客さんからの問い合わせが多い。でも、プーのフルネームを知っているから親族か古い友人かもしれない。まさか、セールスの電話ではないだろう。
「マンションを買いませんか?」
「確実に儲かる投資をしませんか?」
最近はめっきりこんな勧誘の電話はかかってこなくなった。不景気のせいもあるし、プーがビンボーなのが知れわたっているのかも。

聞いた話では、名前、生年月日、出身県、電話番号またはメールアドレスを入力するとその人物の個人情報が見られるらしい。少しカネをだすと当人の資産や家族や仕事までわかるらしい。でも、まぁ、プーには関係のないことだ。プーには資産も家族もないし、仕事や人間関係も今では「ミラノ」だけだ。

そう言えば、5年前に45日も入院して、退院すると、やたら霊園からのセールスの電話があった。あれは何だろう。生命保険会社からも勧誘の電話があった。これは想像だが、たぶん病院の誰かが入院患者の名簿を売っているんだね。
似たような事を思い出した。むかし銀行でローンを組んで家を買ったら、その後、知らない高利貸しから融資の手紙がなんども届いた。これも銀行の誰かが名簿を売っているんだね。いまでは立派な名簿(情報)会社がいくつもある。

「もしもし、お電話、代わりました」プー。
「山野さん・・・あのぉ・・・私ですけど・・・分かります?」
「・・・ワタシさん、ですか?・・・たえ、さんでしょう」プー。
咄嗟に口からでまかせみたいに名前がスラスラでてきた。思いもよらないことだった。プーが言ったというより、反射的に名前自身がスルッと口から飛び出していた。
「あらっ・・・そうです」

プーは、彼女の電話番号を聞いて、あとでかけなおすことにした。

正月2日、初詣客相手にテキヤのような商売をして、一段落したところだった。毎年、正月は喜多院のダルマ市の3日から営業するのだが、みやちゃんの発案で2日から始めたら、忙しかった。いつもは朝7時から夜の12時までやっているが、正月は朝11時から夜は6時まで。それでも2日は平常の倍も売り上げた。

本来なら年末から2日までは休んで、正月気分を味わっていたいのだが、いつの間にか、正月自体がなくなっている。プーが子供のころは、正月の3が日は会社も工場も商店も、何もかもお休みだった。おおげさに言えば、日本列島が静かにしていた。だから各家庭で餅つきをしておせち料理を作り、そればかり食べていた。

お正月に働いていたのは神社とテキヤさんぐらいで、泥棒さんでも仕事はひかえていた。この良き日本の伝統が消えた一因は、スーパー、デパート、コンビニなどの小売流通業が正月営業を始めたことだろう。

おかげで、家族で餅つきをしたり、おせち料理を作ったりせず、デパートやスーパーで買い求めてしまう。何か不足品があればコンビニで済ませてしまう。たしかに便利にはなったけれど、神社に出向かないと正月が味わえなくなった。

「これだけ入ってくれると、温泉旅行も心おきなく楽しめるわね・・・」
疲れているはずなのに、後片付けをするみやちゃんの声ははずんでいる。今まで休んでいた正月の2日に営業するかわりに七草あけに店を閉めて、みんなで泊りがけで温泉に行くことになっている。
「明日はもっと忙しいよ、天気もいいようだし」島。
すでに裏の仕込み場ではヒロダン夫婦が準備をしている。明日は川越祭りと同じぐらい1年で1番の人出になるだろう。

気もそぞろ、とはこんな感じなのか。

プーは、後片付けも手につかないし、明日の用意もうわの空。40年前のたえの面影がチラチラして心ここにあらず。みんなの仕事のあとの雑談には入り込めず、厨房の床のタイルをデッキブラシでゴシゴシしごいていた。

帰り支度をしながら
「さっきの電話、なんなの?・・・あの女性」島。
「うーん、友達、昔の」プー。
「おやすくないわね・・・うふふ」みや。


(9)
たえは40年まえに別れた恋人だった。どうして、プーがここ「ミラノ」で働いていることが分かったのだろう。40年まえ、ぷーは千駄ヶ谷、彼女は千歳船橋に住んでいた。それに、プーは、当時と今では風貌もなにもかも違う。かつてのロングヘアーの若者(ビートルズ世代)は小太りの、白髪でヒゲ面の初老になりはてている。

「じゃ、お先に・・・」
いつもなら、汗水たらした労働のあとのビールはうまいね、なんて言いながらグダグダと呑んでいるはずのぷーが、右手をあげて手のひらをパーにした。笑顔のようなパーであった。
島さんとみやちゃんは、キッパリとしたパーを見てから2人で顔を見合わせた。

裏の寮にもどるとヒロダン夫婦があすの仕込みを終えたところだった。オデンのつゆの匂いが閉めきった部屋じゅうにこもっていた。プーのお腹の虫がきゅうに泣いた。
「プーさん、まだ味が染み込んでいないよ」
プーが、ビールのつまみに大根、玉子、じゃがいも、厚揚げをすくいあげながら
「牛すじも入れてほしいね・・・」
「明日、もういちど煮込むと、ちょうどよくなる・・・」ヒロダン。
「あすまで、待てない・・・島さんたち、まだ店にいるから、呑んで帰れば・・・」
「ありがとう・・・明日、早いから、帰る」ヒロダン。


2階にあがって、たえに電話をかけようとして、さて、何を話そうかと思案して手が止まった。とりあえず、冷蔵庫から缶ビールを取りだし、ひと息に呑んでから薄味のオデンをかじった。まだ、歯ごたえのある薄味の大根であった。昔のたえとのいきさつが、とびとびに何の脈絡もなく湧き出てきた。

さいしょに、たえの父親が現れた。
新宿の喫茶店でアルバイトをしているところに電話がはいり、話し合うことになった。プーは予期していなかったので「たえのオヤジがいったい何だろう」と訝しく思うと同時に緊張もした。父親は痩せてはいるが背丈のある50過ぎのサラリーマンだった。出された名刺には有名な新聞社名と部長の肩書きが印刷されていた。
「うちの娘と付き合っているようですが・・・」
父親は知っているにもかかわらず、プーにたずねた。
「ええ・・・はい」
「そう・・・これから、どうするつもりですか?」
と、訊かれても、プーは答えることができなかった。たえとは、まだ1年足らずの付き合いで、先のことは何も考えていなかった。
「仕事はどうするのですか。今のままでは生活は大変でしょう」父親。
確かに毎月給料日前になると無一文になる生活だった。アパートの部屋代が滞ることもあった。気ままなその日暮らしが、そういつまでもつづくとは思わなかったが、ずるずると月日をつぶしていた。

父親は、たえから聞いたのか調査したのか、プーの事をおおよそ知っていた。
「大阪から東京に出てきて、今までブラブラしているようですが、うちの娘をどうするつもりなのですか?」
父親の表情がだんだんきびしくなってきた。そのうち怒鳴りだすのではないか、掴みかかるのではないか、と思ったが、なんとか堪えているようだった。
「お父さん、たえさんと結婚したいのです」
とは言えなかった。じっさい、そんなことは考えていなかった。ただ、このまま、たえと付き合っていたいだけだった。

今からおもえば、父親にとってみれば、もうすぐ25歳にもなる男が高校を出たばかりの自分の娘をたぶらかしていることになるのも、うなずける。だが、当時のプーには、たえは好きな女性でしかなかった。ふたりの将来のことは何も考えていなかった。軽薄だった。

「山野さん、もう、うちの娘と付き合うのは止めていただきたいのです」
父親はそう言うと深く頭を下げた。目の前の、その父親の後頭部を見つめたら、プーは、うなずくよりなかった。

それでも、ぷーは女友達にたのんでたえの家に何度も電話をしてもらった(当時はまだ携帯がなかった)が、たえはでなかった。母親が、もう、この家には居ない、と言うばかりだった。うかつにも、プーはたえの住所を知らなかった。小田急線の千歳船橋に住んでいることだけ。

それから1ヶ月ほどしてたえから電話があった。札幌の親戚の家にいる。ここから(編入した)大学に通うことになる。父親の命令もあって、もう会えないし連絡もできない。さようなら。
公衆電話からかけているらしくガチガチと10円玉の落ちる音がして、その速さが北海道の遠さを感じさせた。


スマホに登録しておいたたえに触れると、すぐにでた。
「ちょっと待って、折り返し電話します」
たえは、あわてているようだった。
折り返し電話してきた所は彼女の部屋らしい。
「びっくりしたわ、あんなところに山野さんがいるなんて。ひと目ですぐに分かったわ、不思議ね。40年もたっているのに、人相も体型も変わっているのに。なぜ山野さんってわかったのかしら・・・」
「ぼくも、電話で、私、誰だかわかる?と問われたとき、反射的にたえさんの名前が出ちゃった」
「娘が結婚して川越の先の鶴ヶ島に住んでいるの。ときどき、孫の顔を見に行くので、その折には山野さんの店に寄ります」


(10)
1月3日の喜多院のダルマ市は初詣の客でごった返していた。昨日にひつずき、まるでテキヤだ。島さんは1日中焼きそばを焼いていた。プーはコーヒー、ビール、お酒を。ヒロダン夫婦はおでん、フランクを。店頭の出店ではみやちゃんの娘メグと和が声をはりあげている。さしずめ、みやちゃんは現場監督のようだ。

客足がとだえた合間をぬって、おでんをオカズにして遅い昼食をとっていた島さんは
「身体が冷えていけねぇ、プーさん、アッタカイお酒、たのむよ」
「1杯だけね」みや。
プーがビールを呑みながら焼きそばを食べていると
「当分、焼きそばのソースが焦げる臭いはかぎたくないよ・・・」
と言いながらも、島さんはまんざらでもなさそう。タクシーの運ちゃんよりは楽しそうだ。

「ミラノ」の常連さんが店の前を通りかかると、プーが呼び止めて、新年の挨拶をしてから樽のお神酒をふるまっている。安ちゃんと敦子さんも来ておでんを食べていった。昨日働いたバイトのジュンも焼きそばを食べていった。めずらしく、平さんが奥さんと連れ立って寄る。
「温泉に行こうよ・・・」
みやちゃんが、みんなに声をかけている。

彼女の提案により、正月営業を1日繰り上げて2日からにしたのは正解だった。そのテキヤ稼業で1泊2日の温泉旅行代がまかなえそう。去年はゴールデンウィーク明けに草津へ行ったので今回は四万温泉だ。20人をこえる団体になるとバスを無料でチャーターしてくれるそうだ。

昼に焼きそばを食べながらビールを呑んで、テキヤのまね事をしながら燗酒をいただいていたので、5時ごろ一段落すると、どっと疲れが出てきた。あす、もう1日正月営業だ。でも、たいしたことはない。きょうの半分の売上もないだろう。実質的には正月は今日で終わり。
プーは、早くたえに会いたくなった。

たえと別れたのは父親に説得、懇願されたからであって、嫌いになったり喧嘩したわけではなかった。逢いたくても彼女は札幌に隔離されていたのだ。それを知って札幌を訪れてもよかったのだが・・・なんのあてもなく行くには札幌は遠すぎて、そんな考えは思いつかなかった。彼女が札幌に行くまえに、千歳船橋の駅で朝から晩まで待ち伏せていたら会えたかもしれない。だが、プーはそんなことは、しなかった。
当時、ストーカーという言葉もなかった。

あきらめがよすぎたのかもしれない。もっと、たえを追いかけてもよかったのだが、女友達にたのんで電話をかけてもらうことしかしなかった。淡白だった。
そのせいで未練がのこったのかもしれない。ときどき、不意にたえを思い出すことがあった。いつでもたえは、19歳で清らかだった。


(11)
はやく寝入ったせいか夜中に目がさめて、トイレに立ったら腰に痛みがはしった。覚えのある痛みだった。プーは腰の後ろ側に両手をあててゆっくり歩いた。両の親指で腰の側部を押し、4本の指で脊髄をまさぐった。ほんのちょっとした腰の角度、ひねりで痛みが生じた。
20年ぐらい前、ギックリ腰で1週間も仕事を休んだことがある。横になったら立ち上がることもままならず、這ってトイレに行くのに1時間もかかった。とうぜん、もどるのにも1時間もかかって、痛みが走るたびにうっ、うっと息もたえだえだった。
そんなことがあってから、年に1、2度、腰痛の前触れがある。それを察知すると、プーは何をおいても休養にあいつとめることにしている。あのギックリ腰の苦難を2度と味わいたくない。

あす、仕事、休もうかな?
ぷーは、腰に両手をあてて思案した。

そうだ、あすも6時までなんだ。
平常は、朝7時から夜12時まで営業している。ただ、あすの4日までは正月営業で11時から6時まで。それぐらいの時間ならなんとかなりそうだが、一応みやちゃんにメールを入れておこう。(いきなり腰痛で欠勤では叱られる)。へんに立ったり座ったりするよりも、ずぅーっと立ったまま店頭でビールやコーヒーを売っているほうが楽。そうだ、疲れたら幼児用の高い椅子を持ってきて、立ったままそこにお尻をあずけていればいい。


いつもなら、夜中に目がさめてもトイレに立ったあと、また眠れるのだが、今日はうとうとしているばかりでいっこうに眠りに落ちない。夢うつつの脳裏にとぎれとぎれに絵が浮かび消える。それらは、何のつながりもないようだが、無意識の闇では黒い糸がもつれているのかもしれない。

絵のひとつは、こんなものだった。
コツコツと音がして2本の足が降りてきた。
地上から地下に降りる階段は暗く狭く急だ。だからみんな慎重にゆっくり降りてくる。足音がして、カウンターの中のプーが見上げると、靴が見え白い脚が見え、顔があらわれる。くすんだピンクのハイヒールにほっそりした脚のあとで、こわばった表情が照れ笑いになっていた、たえ。前夜、ベッドの中で買ったばかりのハイヒールを取り出して天井に向かってかさしだし「セクシーでしょう」と言ったのだった。

もうひとつ。
喫茶店のカウンターで、プーがコーヒーを落としている。カウンターの向こうでたえが文庫本を読んでいる。当時はまだコーヒーマシンはなかった。コーヒーミルで豆を挽いてネルドリップで250g、大きなヤカンを両手で持って、股の下の寸胴にいっきに落とす。はじめにお湯を少しそそいで豆を蒸らす。この作業と判断がかんじん。熱湯をふくんだ豆は、焼けた餅のようにふくらむ。ふくらみきったところで、豆が沈殿しないように、ドリップの中で舞うように、やさしく円を描きながらお湯をそそいでやる。おいしいコーヒーになるように舞い上がる豆に語りかけ、念じる。香りが、立ちのぼる蒸気とともにぷーの顔を包む。その中で深呼吸をする、何度も。その腑抜けのような恍惚とした表情をたえに見られたようだ。カウンターの向こうでたえも文庫本から目をはなし深呼吸して、微笑んでプーを見た。目と目があったとき、おそらく共同幻想がドリップの中の珈琲豆のようにふくらんで舞ってトリップしたにちがいない。

文庫本の白っぽい表紙に鮮やかなオレンジ色で「仮面の告白」と印刷されていた。プーは本を読まない。が、三島由紀夫の名前ぐらいは知っていた。

プーが20歳のときに三島由紀夫が死んだ。新宿3丁目のレストランでアルバイトをしていたから、防衛庁は目と鼻の先だった。あの時の衝撃はいまだに消えることはない。

「彼が死んだとき、近くにいたんだよ」プー。
「楯の会に入っていたんですか?」
「入っていないよ、そんな・・・」
「自衛隊員だったの?」
「まさか・・・からかっているね?」
「コーヒー、もう1杯ください。ああ、いい香り・・・」たえ。


(12)
2月のはじめの土曜日になって、やっとたえが来た。娘の家族と一緒になって「ミラノ」て昼食をとった。それまでにメールのやり取りをしていて、お互いの近況は知っていた。そのなかでも驚きは、ふたり(プーとたえ)とも離婚していて独身でいることだった。ただ、詳しい事は何も分からない。ふたつの離婚という事実がポンと置かれているだけだ。

プーの勧めで、たえは天ざるそば。たえの娘の亭主は肉か魚か、まよったあげく豚肉の生姜焼き定食。プーはブリ大根定食。たえの娘と10歳になる女の子(たえの孫)はピザのランチとスパゲティーのランチをとってシェアーする。

話題の中心はさしさわりのない孫、和恵ちゃんだ。
「この子ったら、勉強はそっちのけでサッカーに夢中なんです・・・」
母親(たえの娘)がそれとなく話をプーに投げかけると、たえが微笑んでうなずいている。尋ねはしないが、たえは自分のことを娘家族にどんなふうに話してあるのだろう、と、プーはちょっと気になったが・・・。

大人の話を聞いているのか聞いていないにか、和恵ちゃんはアンチョビのピザとバジルのスパゲティーをかわるがわる食べながらグリーンサラダを母親の方へ押しやっている。どことなくお婆ちゃんのたえの面影がうかがえる日焼けした細面の顔。髪は短く、ほっそりとした身体。まだ女性にはなっていない腰や胸。ときおり男の子と見間違えられる。じっさいサッカーは男の子に混じってやっていて遜色ない。
母親はそんな和恵ちゃんをちょっと自慢しながらも、怪我が心配。

娘の亭主は自動車会社の工場に勤務している。実直な感じ。かなり太め。
「和恵がサッカーを始めてから好きになりましてね、土日の試合は夫婦で応援に行っています。そろそろ、女子チームにくら替えした方がいいころかな。やっぱりね、小学生でも高学年になると馬力がちがってきますね。試合を見ていると当たりの強さが男と女では全然ちがいますね」
和恵ちゃんはお父さんの意見には反論しなかった。食事をしながら、もっともだと聞いているようだが、やってやれないことはない、と考えているような表情が読みとれる。家庭では何度もくりかえし話し合っているのだろう、父と娘の間ではさして意見のくいちがいはないようだ。娘は父を信頼している。
「男の子と混じってやれるくらいなら、女子チームならエースだね」プー。
「まぁ、ね。女子はレベルが低いから・・・」父。
和恵ちゃんはうなずきながら、父を見上げた。
目は、そんなレベルの低いところでやりたくない、と訴えているようだ。

「この人、中学高校と野球をやっていたので、この人の遺伝・・・」
たえの娘は亭主と和恵をかわるがわる見比べて、嬉しそう。
「野球をやっていたといっても、たいした記録はないんです。埼玉県大会のベスト8にいったくらいで・・・」
亭主は中年太りにはなっているが、背も180cmぐらいありそうで、がっちりしている。勉強より運動が好きだった父に似たのだろう、和恵ちゃんは父親とじゃれあいながら店の外にでようと手を引いてさそっている。

そんな仲のいい父と娘も、和恵ちゃんが中学生にもなると父を避けはじめるだろう。小学生のように自分から父の身体にまとわりつくようなことはない。プーは自分の娘の子供時代をなつかしく思い出した。子供が子供であったとき、家庭は憩いの場であった。

娘家族の3人は川越の町の散策にでかけ、たえはひとり別れ「ミラノ」の裏にある寮の部屋にあがってきた。寮は、住む人がいなくなった篠さんの家を借りている。(さいきん、この家をミラノで買い取ってくれないか?と打診があった)
1階の台所とリビングは「ミラノ」の仕込み場と物置になっている。8畳の和室は去年までギーさんが使っていたが、今は空いている。2階の10畳の部屋をプーが使い、6畳は島さんの部屋。3畳の物置は「ミラノ」の事務所。


(13)
プーが2カ所の窓を開けると、冷たい空気がカーテンをゆっくりゆすった。たえは、部屋に入って大きなベッドに目を奪われて、いぶかしそうにしていた。それから、机、サイドテーブル、オーディオ、と部屋のなかをいっしゅう見渡して
「きれいにしているのね・・・」
「きのう、掃除したんだよ。収納庫が大きいから衣類やガラクタはぜんぶその中」
とりあえず、ベッドに座ってもらう。プーは、机の椅子を引き寄せ、サイドテーブルにビールを置いた。
「私、飲まない」
プーは、かまわずひと口だけ注いで、あとは自分のグラスを満たした。泡立ちがおさまってから、グラスをぶつけて目の高さまで持ち上げていっきに呑んだ。
「ここはね、1階に両親、2階に娘家族3人が住んでいて、この部屋は夫婦の寝室だったの。両親が亡くなり、娘家族が横浜に引っ越したので借りて寮にしているんだ。ベッドは娘夫婦の置き土産ってわけ」
たえは、なんどもうなずいて
「ふぅーん」
ともらして、右の手のひらでポンポンとベッドをたたいた。
「それにしても、大きすぎるわね、シングルと入れ替えればもっと部屋を広くつかえるのに・・・」
「そうなんだけどね、捨てないでくれ、と娘さんに言われているんだ。また、戻ってきて住むつもりだったらしいけど・・・最近、あきらめたみたい。横浜の方が住めば都になったこと、子供の学校や相続の問題もあって、この家を買い取ってくれないか、ともちかけかけられている」
「じゃ、シングルにすれば、部屋の中、スッキリするわよ」

「なにか、かけようか・・・」
「そうね・・・カーペンターズ、ある?」
「ないけど、ユーチューブから引っぱってみる・・・」

なつかしい音楽が流れてきて、ふたりでしばらく聴いていると40年前にもどったような気がして、苦笑いのような照れ笑いになってしまう。連鎖的にたえの好きだったサイモンとガーファンクルを思い出して、流した。たえは何も言わず、指先とあごでリズムをとっている。ちょっと寂しげに。

言葉もなく、ふたりはタイムトリップしている。その時代の音楽が流れ、ふたりだけの情景がよみがえり、見つめている。こちら側と、あちら側から。確かに、こちらとあちらの間には、愛に似た幻想があったのだが・・・今さら、それを問うこともできない。
「あなたの部屋にジャズのLPがいっぱいあったわね。なかでもコルトレーンのマイ・フェバリットシング、忘れられないわ」


「なんで、離婚しちゃったの?」
ぶしつけにたずねてみたい誘惑にかられたが、どうしても言葉にできなかった。もし、同じ質問をたえにされたら自分も返答に窮するだろう。
「いつ、別れたの?・・・亭主はどんな人だったの?・・・」
いろんな疑問が好奇心をそそったが、どれもこれも下世話でいけない。機が熟せば、果実が木を離れるように、たえも自然に語りだすだろう。

暗くなるまえに家路につきたいと、たえは立ちあがった。84歳になる母が待っているから・・・。扉の前でコートを羽織ってハンドバッグに左手を通して、右手をさしだして
「さよなら・・・」
プーは、たえの手をにぎり、目を見つめて、それからグイッと引きよせた。ハグのように軽く抱擁した。素早く唇を盗んだ。
「まぁ・・・」
声にならない、開いたままの唇が笑いに変わると、たえは目を閉じて顔と上体をプーにあずけた。しばらくの間、そうしていた。
「行かなくっちゃ・・・」
そう言って身体を離したたえは、人差し指のひらでサッと目じりを拭った。


(14)
島さんの運転で、車は関越を北上し本庄児玉で降りた。丘陵地を30分ほど登ると見なれた霊園にたどり着いた。平さん、島さん、プー、それからギーさんの奥さん。社務所をのぞくとアートブレーキー好きのおじさんが出てきて立ち会ってくれる。

梅の花が咲きはじめたころ、ギーさんの奥さんから連絡があり、相談したいことがあると言う。できれば、平さんにも来てほしい、とのことだったので「ミラノ」で3人で会った。奥さんのちょっと長すぎる挨拶と葬儀のお礼のあとで
「実は、今頃になって主人の遺言状が見つかりまして・・・それには共同墓地に埋葬してくれるように書いてあり・・・平さんと店長さんに頼んであると・・・」
「そうですか、私たちは日ごろ、そんな話をしていまして同じ共同墓地に入る約束をしていたのです。だから、私もプーさんもすでに購入済みなのです」平。
「我が家の墓地を造る手はずになっていたのですが、遺言状が見つかり両親や娘とも相談した結果、そちらの墓地の購入方法を教えていただければと思いまして・・・」
平さんは自治体の名前を教え、アクセスして霊園の項をクリックすると案内がでている、と説明した。

おじさんを先頭に、だらだらと坂をのぼり共同墓地にたどり着くと、梅の花が咲いていた。ちょうど目の高さあたりに広がる小さな梅園。梅の花はカレン。その奥の山裾が桜並木になっている。

お椀を伏せたような、こんもりとした小山の横っ腹にある扉をおじさんが開ける。見かけは粗末な山小屋の戸に見えたが静脈承認による電子ロックになっていて、しかも2重だ。最初の扉の先にもうひとつあって、おじさんは左右の人差し指と2種類の暗証番号を使っていた。

真ん中に手すりのついた直径3メートルぐらいの穴があり、幅2メートルぐらいのスペースがその周りを囲んでいる。暗くて穴の底が見えない。

おじさんにうながされて、ギーさんの奥さんが骨壷の入った包みをほどいた。奥さんが、壺のふたをとると
「壺は入れないでね」
おじさんが、きっぱりと叱るように言った。たまに、壺ごと放り投げてしまうやからもいるらしい。壺を逆さにして、ゆすって遺骨を落とす横着な人もいる。おじさんは無言で鉄製の長すぎる箸を示した。社務所で大音量のファンキージャズに聴き入っているおじさんとは別人だった。

はじめ、奥さんが両手を使って長い箸で骨を拾い放った。かすかな落下音がするまでに予想以上に時間がかかった、といっても1秒あるかないかだが。5、6回すると奥さんは緊張で疲れたらしくうまく骨を挟めなくなって、一息ついて平さんの方を見やった。平さんは奥さんから箸を受けとり、ふたつ放った。島さんもプーも平さんにならって、ふたつ放った。最後のひとつを奥さんが放ったとき鉄製の長い箸もいっしょに投げてしまった。底のコンクリートにぶつかる鈍い音が4人の心にひびいた。

「ミラノ」で平さんと3人で話した夜には、A自治体にアクセスし翌日には契約、振込を済ませていた。3日後には使用許可書が届いた。奥さんからすぐに連絡がはいり、翌週の日曜日にみんなで来ることになった。なんともあわただしく、理由もなく急いでいるような気がした。

「あっ・・・」
箸の音が聞こえるまえに島さんが声をあげたが、係りのおじさんは、うなずくように何度もなんどもあごを上げ下げしていた、ゼンマイじかけの人形のように。その、あごのリズムは単調で4ビートにはなっていない。
おじさんの目は、奥さんを冷たく見つめていた。
「やると思ったんだよ・・・たまにいるんだよ、壺や箸を投げる奴が・・・」

この日、お坊さんは来なかったから、自治体の職員もこなかった。申請すれば自分でお坊さんを呼ぶこともできるし、手配を頼むこともできる。とうぜん、なにがしかのカネがかかるわけで、この共同墓地に埋葬する人は、ほとんどお坊さんは立ち会わない。
ギーさんの遺言状にも「無宗教」と書かれていたはずだ。

ただ、遺言状には「戒名は要りません」「葬式はしないでくれ、もしやるなら、ミラノで仲間だけのお別れ会がいい」とも記されていたにちがいない。
「奥さん、いつ、遺言状を発見したんだろう・・・」
奥さんが共同墓地の話を持ち出したときから、島さんには疑念が浮かんでいた。
「それに、なぜ今日、娘は来ないの?」

社務所にもどって3枚の書類にサインをして、奥さんはお礼の挨拶をした。無意味な言葉を長々としゃべり続ける人の脳の構造はどうなっているのだろう。いっけん、ありがたく仰々しい慣用句、雛形のある定例文の中身は空っぽだった。箸を放り投げたお詫びの言葉はなかった。
4人が車に乗り込み、島さんがレバーをドライブにいれたとき、平さんが
「ちょっと・・・」
と言って、社務所に引き返して、おじさんに封筒を渡した。
「志」と書かれていた。


(15)
年末、クリスマスのあとだった。奥さんや親戚縁者のいない、ギーさんのお別れ会をした。表向きは職場「ミラノ」の主催だったが、内実は「ポックリさん」仲間だ。おそらく、遺言状には「お別れ会」のことは書かれていたはず。だが、奥さんは出席を断ってきた、慇懃に。
ギーさんは「月」でポックリさん仲間、平さん、島さん、プーたちとよく終末の話をしていた。戒名はいらない。葬式もしなくていい。もしやるなら、平さんのライブで飲み会にしてくれ、常々そう言っていた。ホテルの宴会場の「お別れ会」ではなく、「ミラノ」でファンキージャズをガンガン流してくれ。それで、最後は平さんのピアノで締めてよ・・・と。
まさかこんなに早いお別になるとは、本人も予想していなかっただろう。

当日は偲ぶ会の雰囲気ではなく、ライブパーティーのようだった。はじめにプーがお別れの挨拶をして、最後は平さんがしめた。平さんのバンドだけではなく、増田さん親子や北岡さんやマリコさん、「ミラノ」で演奏したことのあるミュージシャンが多数参加してくれた。演奏の合間に出席者全員がギーさんにまつわることをひと言ずつしゃべった。

「2年ぐらい前から、ギーさん、ものすごくやる気になって、競馬もやめて、麻雀もパチンコも・・・ギャンブルやめて、店長みたいに頑張っていたのに、こんなことになって・・・」みや。

「すい臓がん、と聞いたとき、覚悟しましたが・・・亡くなったときは涙がとまりませんでした。さいきん、やっと落ち着いてきて、ギーさんに教えていただいた仕事を続ける気になりました・・・」恵子。


ギーさんの奥さんを家に送り届けてから3人が「ミラノ」にたどり着くと、みやちゃん、恵子さん、ヒロダン夫婦が待っていた。
「どうだった?」みや。

ヒロダンが鍋に火をつけた。昆布、長ネギ、白菜、豆腐、鱈、それから牡蠣も。ヒロさんが大根をおろしている。ネギと白菜が煮えたころ、大きな鍋をテーブルに運んで簡易コンロをセットした。
「今日はポン酢で、お好みで大根おろし、七味・・・」ヒロダン。
豆腐、鱈、さいごに牡蠣を入れた。
「ねぇ、どうだったの?」みや。
「うん、無事、済んだよ。なかなかいいところだよ。景色はいいし、陽当りはいいし。眼下にちっぽけな田舎町が見えるんだ」島。
「一般の分譲墓地からちょっと離れた高台に共同墓地があって、そこが墓地と言われないと分からないほど自然のままなんだ。お椀を伏せた古墳のようで、塔や像や門など、なにもない」平。
「これからも、まわりに変なものを立てないで、そのままにしてほしいね」プー。

「牡蠣、かたくなるから早く食べて・・・」ヒロダン。
「うん、これくらいレアの方がジューシーでおいしい」
みやちゃんは、島さんや平さんの小鉢に牡蠣を放り込んでいる。
「ヒロさん、恵子さん、牡蠣たべて・・・」みや。
島さんが冷蔵庫からビールを運びだし
「とりあえず、乾杯しよう」
「なんの乾杯?」プー。
「ギーさんの納骨だよ」島

「オレ、牡蠣であたったことがあって、レアは怖いんだよね」プー。
「あら、このプリプリを噛んだときに口の中にひろがる汁がおいしいのよ・・・」みや。
「うん、そうそう・・・」ヒロダン。
「以前、鍋に使う加熱用の牡蠣を生牡蠣のようにレモンを搾って食べていたんだよ。これが、うまいんだ」
「加熱用の牡蠣を生で?何で?」みや。
「ある著名な作家が雑誌に書いていたんだよ。磯の香りがして最高って」
「バカじゃないの」
「でも、それでずっと、あたらなかったけど、ついにあたっちゃってね、ひどい目にあった」
「牡蠣にあたると、スゴイって聞いたよ」平。
「スゴイってもんじゃないよ。ちょうど年末で病院は休みで、よっぽど救急車を呼ぼうかと思ったけど・・・本当の寝正月だった」


去年の今頃、大雪の日、店を閉めてギーさんとふたりで牡蠣を食べた。恵子さんは思い出し、席を立ち窓から外をうかがった。窓は黒い鏡となって鍋をつっつくミラノ仲間の団欒をうつしていた。額をガラスにぶつけるほど近づけると街の暗闇が見えた。目を凝らすと、いっしゅん闇がまっ白になって雪に包まれているように見えた。

「こんど、その共同墓地に行ってみたいです」恵子。
「私も・・・」みや。
「今日、梅が咲いていたよ。もうすぐ・・・桜が咲くころ、みんなで行ってみようか」島。
「墓地で、お花見するの?」みや。
「悪くないよ。死体が流れる横で水浴するベナレス(ガンジス)のようで」平。
「は?・・・気持ち悪い」みや。
「俺も分骨してあそこに入れてもらう気になったよ・・・」島。

「やはり、死んだあとのことは、家族に話しておかないとダメだね。それに、文書にして遺言状にしておかないと・・・葬儀は死んだ人のためのようで、実は残された人たちのためにやるんだね。だから、どうしても常識的な習慣にのっとった儀式になってしまうよね。あのギーさんの大げさな職場葬式は、奥さんのためのものだったんだね。でも、まぁ、ギーさん、あそこに葬られてよかったよ」平。
「おれも、平さんも、島さんも、もうすぐ、あそこに逝くよ・・・」プー。


                         「嘘日記 その9」 (ギーさんの場合) 終わり

                         これはフィクションです。




           






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